散策スポット目次
HOME
前ページ
次ページ
西日暮里駅前
西日暮里駅付近
JR東日本の「駅からハイキング」のイベント「歴史的建造物と文豪ゆかりの地を訪ねる」に参加しました。 サブタイトルは「歴史ある神社・建造物や昔懐かしい商店街が残る街並みを巡ります」です。 細部説明は「都会にいることを忘れてしまいそうな街並み、歴史上の偉人や文豪ゆかりの地を歩けば、当時の文化や風俗に触れることができます」です。
コースの概要は次のとおりです。 JR西日暮里駅(スタート)→旧安田楠雄邸庭園→森鷗外記念館→夏目漱石旧居跡(猫の家)→根津神社→お化け階段→カヤバ珈琲→旧吉田屋酒店→ヒマラヤ杉→へび道→朝倉彫塑館→夕やけだんだん→谷中銀座商店街→よみせ通り商栄会→JR西日暮里駅(ゴール)
西日暮里駅から西に向かう
駒込林町公園
コースの歩行距離は約7km、歩行時間は約1時間50分(施設での見学時間を除く)、所要時間約2時間50分(施設での見学時間等を含む)です。 写真を撮りながらの散策でしたが、所要時間2時間30分、約1万1千歩でした。
JR西日暮里駅を出て左方向に400mほど進むと「道灌山下」の交差点で、左右の通りは「不忍通り」です。 「道灌山下」の交差点で「不忍通り」を横切って左折し、50mほど進んだところを右折すると路地に入ります。 緩やかな坂道を上っていくと右手に「駒込林町公園」があり、さらに50mほど進んだ丁字路を左折すると「くらしのみち」です。
くらしのみち
くらしのみち 左手が旧安田楠雄邸庭園
旧安田楠雄邸庭園
「くらしのみち」を200mほど進んだ右手が「旧安田楠雄邸庭園」です。 旧安田楠雄邸は、大正8年(1919年)に豊島園の創設者である実業家・藤田好三郎によって造られた近代和風の邸宅です。 建物は、伝統的な和風建築の書院造や数寄屋造を継承しながらも、内部に洋風の応接間を設けるなど、和洋折衷のスタイルも取り入れた造りです。
平成19年から一般公開されていますが、公益財団法人「日本ナショナルトラスト」が管理しているため、公開日は水曜日と土曜日のみです。 このため、この日は残念ながら閉館していました。 写真の一部は後日訪ねたときのものです。
旧安田楠雄邸庭園 この日は閉園
森鷗外記念館
「旧安田楠を邸庭園」から300mほど進むと「団子坂上」の交差点で、交差点に右折すると左手が「森鷗外記念館」です。 「森鷗外記念館」は、森鷗外生誕150年を記念して、旧居「観潮楼」の跡地に建てられた記念館です。 小説家、戯曲家、評論家、翻訳家、陸軍軍医といくつもの顔をもつ鷗外の作品や遺品などが展示されています。
団子坂上から西に進む道路
駒込学園前の交差点を左折して細い路地を
「団子坂上」交差点から「森鷗外記念館」を左手に見て300mほど進むと「駒込学園前」の交差点です。 交差点を左折し、細い路地を道なりに400mほど進むと、右手に橘桜会館があり、その手前が「夏目漱石旧居跡(猫の家)」です。
細い路地が続きます
夏目漱石旧居跡
夏目漱石はこの場所に、イギリスから帰国後の、明治36年(1903年)から3年間居住しました。 この間、東京大学英文科・第一高等学校の講師を務める一方、処女作「吾輩は猫である」を執筆し、この旧居は作品の舞台となりました。 「倫敦塔」「坊ちゃん」「草枕」などの作品を次々と発表した場所でもあります。 家屋は、愛知県犬山市の「明治村」に移築され、公開されています。
根津神社
「夏目漱石旧居跡(猫の家)」から道なりに150mほど進んだ「日本医大前」の交差点を左折し、200mほど進むと「根津神社北口」の信号です。 根津神社は今から1900年余の昔、日本武尊が千駄木の地に創祠したと伝えられる古社です。 文明年間には太田道灌が社殿を奉建しています。 6代将軍徳川家宣の生誕の地です。
5代将軍綱吉は、世継ぎが兄綱重の子・綱豊(6代家宣)に定まった際に、氏神根津神社にその屋敷地を献納、世に天下普請と言われる大造営を行いました。 宝永3年に造営された権現造りの社殿、唐門、楼門、透塀など7棟の建物は、現在もそのまま残り、国の重要文化財に指定されています。
つつじ苑は、境内地となる以前に、徳川綱重(5代将軍綱吉の兄)が屋敷の庭につつじを植えたことに始まり、350年の歴史があります。 7000坪の神苑は、世につつじヶ岡と呼ばれる府内の名勝でした。 現在も境内には約2000坪のつつじ苑があり、約100品種、3000株のつつじが色とりどりに咲き移ります。 つつじが見頃となる時期には「文京つつじまつり」が境内で開催されます。
お化け階段
お化け階段から根津1丁目に向かう道路
根津神社境内を通り抜けて反対側の鳥居から出て左方向に進み、右手の最初の路地に入り、丁字路を右折して少し進むと「お化け階段」です。 住宅街の中にある階段で、上りと下りで段数が異なることから「お化け階段」と呼ばれています。 かつては暗くて狭い坂だったようですが、拡幅され手すりも整備されたきれいな階段になっています。 しかしながら、階段途中で折れ曲がって先が見通せなかったり、階段の一部が上り途中で行き止まりになってしまったりと、独特のミステリアスな雰囲気が今も漂っています。
お化け階段から住宅街の細い道を進み、Y字路を左、Y字路を左と坂を下っていくと、広い道路に出ます。不忍通りです。 右手に50mほど進むと「根津1丁目」の交差点で、左右の通りが「言問通り」です。 「根津1丁目」の交差点を左折し、「言問通り」に沿って500mほど進むと「上野桜木交差点」です。
根津1丁目交差点
言問通り
カヤバ珈琲
交差点の左手前が「カヤバ珈琲」で、交差点の左前方が「旧吉田屋酒店」です。 「カヤバ珈琲」の建物は大正5年(1916年)に建築されたものです。 「カヤバ珈琲」は上野桜木のシンボルとして親しまれてきた古民家カフェです。 平成18年にいったん閉店したものの、NPO法人などにより平成21年に復活しました。 レトロで居心地の良いカフェとして人気があります。この日も店の外には行列ができていました。
旧吉田屋酒店
「旧吉田屋酒店」は、谷中6丁目で江戸時代から代々酒屋を営んでいた「吉田屋」の建物で、昭和61年に同店を改築する際に、同店所蔵の道具類や文書とともに台東区が寄贈を受け、現在地に移築復元したものです。 建造物は明治43年(1910年)に建築されたもので、当時の商家建築の特徴をよく伝えています。
店舗の入口には大きく突き出した梁で屋根を支える出桁造や、シャッターの原型ともいえる揚戸が設けられ、店内中央に帳場、左側に商品を陳列する棚があります。帳場の横に階段があり、2階の8畳と3畳の部屋は住み込み店員の居室で、常時6人ほどが寝起きしていたそうです。 看板や徳利などの道具類は、総数215点あります。大正から昭和初期に使われたもので、その一部が展示されています。 また、明治34年から昭和46年に至るまでの帳簿や伝票など、貴重な資料も保存されています。
文豪ゆかりの地を訪ねる その2へ 風来坊