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鷗外と歩く 文の京の散歩道 その1 (H25.9.18)


小石川後楽園東門(通常は閉鎖されています)



JR水道橋駅西口

JR東日本の「駅からハイキング」のイベント「鴎外と歩く 文の京(ふみのみやこ)の散歩道」に参加しました。

サブタイトルは「森鴎外記念館の開館を祝して、梅が見頃の文学のまちを歩きませんか?」です。

細部説明は「梅の名所の小石川後楽園、湯島天満宮で春の息吹を感じましょう」です。


コースの概要は次のとおりです。

JR水道橋駅→小石川後楽園(受付)→文京シビックセンター展望ラウンジ→文京ふるさと歴史館→湯島天満宮→旧岩崎邸庭園→根津神社→森鴎外記念館→六義園→JR巣鴨駅(ゴール)


東京ドームシティーへの連絡通路



東京ドームホテル

コースの歩行距離は約9km、歩行時間は約2時間20分(施設での見学時間を除く)、所要時間約3時間20分(施設での見学時間等を含む)です。

写真を撮りながらの散策でしたので、所要時間3時間30分、約1万7千歩でした。

このイベントは2月開催のイベントでしたが、9月に再度訪ねました。

2月に散策したときは、梅は殆ど咲いていませんでしたので、9月の写真でレポートします。



小石川後楽園沿いの遊歩道


JR水道橋駅西口を出て右方向に進み、東京ドームへの歩道橋を渡ったところの左手の階段を降りて、外堀通りに沿って50mほど進んだ右手の路地を入ると「小石川後楽園」東門です。

通常東門は閉鎖されていますが、駅からハイキングの期間中は開門されていました。

東門から西門の間には、小石川後楽園の外壁に沿って遊歩道があり、遊歩道の途中に小石川後楽園展示室があります。


小石川後楽園展示室



小石川後楽園展示室


小石川後楽園展示室



小石川後楽園 枝垂れ桜



小石川後楽園

小石川後楽園は水戸黄門ゆかりの大名庭園です。

江戸時代初期、寛永6年(1629年)に水戸徳川家の祖である頼房が、江戸の上屋敷の庭として造ったもので、二代藩主の光圀の代に完成した庭園です。

庭園の様式は池を中心にした回遊式築山泉水庭園になっています。



小石川後楽園


光圀は作庭に際し、明の儒者である朱舜水の意見をとり入れ、随所に中国の名所の名前をつけた景観を配し、中国趣味豊かなものとなっています。

また、各地の景勝を模した湖・山・川・田園などの景観が巧みに表現されています。

庭園の名前も、中国の「岳陽楼記」の中の「天下の憂いに先立って憂い、天下の楽しみに遅れて楽しむ」から「後楽園」と名付けられました。


小石川後楽園



小石川後楽園梅林 早咲きの梅が咲き始めの段階です

小石川後楽園は小石川台地の先端にあり、神田上水の分流を引入れ築庭されました。

また光圀の儒学思想の下に築園されており、明るく開放的な六義園と好対照をなしています。

小石川後楽園には、約120本の紅梅、白梅の梅林があります。水戸黄門ゆかりの大名庭園ですから、水戸と縁のある梅も植えられており、多くの種類の梅を楽しむことができます。ミツクニという梅があってびっくりしました。

梅の写真は2月に訪ねたときのものです。



ミツクニ


ミツクニ


小石川後楽園の西門を出て右手に小石川後楽園の外壁に沿って200mほど進むと、外壁の色が白色に変わります。そのまま白壁に沿って200mほど進むと「後楽園駅前」交差点です。

交差点を左折し、100mほど進んだ右手が「文京シビックセンター」です。


小石川後楽園の外壁



文京シビックセンター

文京区役所本庁舎が入居する文京シビックセンターは、文京公会堂の跡地に1999年11月に竣工した、地上28階、地下4階、高さ142mの建物です。

東京23区の区役所では、最も高い建物です。

文京シビックセンターは、区役所のほか、大・小ホール、区民施設、展望ラウンジ、レストラン、カフェなどを備えた総合施設です。



文京シビックセンターからの展望


文京シビックセンターの25階北側には展望室があり、無料で東京の景観を楽しむことができます。

室内照明の反射を避けるために傾斜のついた窓が特徴的です。


文京シビックセンターからの展望



文京シビックセンターからの展望



文京シビックセンターからの展望



文京シビックセンターからの展望 新宿高層ビル群の左に富士山が



新宿高層ビル群の左に富士山が

浅草方向にはスカイツリーを、新宿方向に高層ビル群と富士山を望むことができます。

関東の富士見百景にも選出されています。

また、25階南側はスカイレストランになっています。


展望室の眼下に、先ほど訪ねた石川後楽園を望むことができます。



文京シビックセンターの正面入り口から外に出て右折し、春日町の交差点を横切って春日通りに沿って300mほど進んだ、「真砂坂上」の交差点を左折し、路地を100mほど進んだ左手が「文京ふるさと歴史館」です。

「文京ふるさと歴史館」には、古代から近代にかけての文京区の歴史、生活の変遷、ゆかりの文学などを現物や模型で展示しています。

今回はパスしました。


小石川後楽園



春日交差点 右上に進みます



麟祥院

「文京ふるさと歴史館」から「真砂坂上」の交差点に戻り、春日通りに沿って東方向に300mほど進むと「本郷3丁目」の交差点で、さらに300mほど進んだ左手が「麟祥院」です。

麟祥院は徳川3代将軍家光の乳母として知られている「春日局」の菩提寺です。

功なり名をとげた春日局は、幕府の恩恵に報いるために、本郷湯島に寺院を建立しようと思い立ちました。

これを知った将軍家光は、願いをかなえさせるために本郷湯島の土地を寺地として贈りました。



麟祥院



麟祥院


願いがかなえられた春日局は、「報恩山天沢寺」と名付けました。

寛永7年(1630年)渭川という高僧を新しく住職として迎え、改めて春日局自身の菩提寺とした。寛永11年(1634年)に渭川和尚から法号をおくられました。

これを喜んだ家光は、法号をもって寺号とするように命じたため、「天沢山麟祥院」と号するようになりました。

周囲にカラタチの生垣をめぐらせていたので「からたち寺」とも呼ばれています。


麟祥院



湯島天満宮



湯島天満宮



湯島天満宮

「麟祥院」から春日通りに沿って150mほど進んだ右手が「湯島天満宮」です。

「湯島天満宮」は、雄略天皇2年(458年)創建と伝えられる古社で菅原道真を祀る学問の神様として有名です。

江戸時代には、谷中感応寺(天王寺)、目黒不動と並び三富と呼ばれ、幕府公認の富くじを発行し賑わいました。


湯島天満宮は、江戸時代より「梅の名所」として多くの庶民に親しまれてきました。

湯島天満宮には約300本の梅の木があり、8割が白梅です。

昭和33年(1958年)に開催された梅祭りも、今年で57回目とのことです。

今年は2月8日から3月8日の間、梅祭りが開催されました。

初春の東京年中行事として、梅祭り期間中には延べ45万人の人が訪れるとのことです。

今年は梅の開花が遅く、2月12日に訪ねたときは、殆ど咲いていませんでした。


湯島天満宮:合格祈願



湯島天満宮:梅林

現在の社殿は、平成7年に総檜造りで造営されたものです。

社殿は、本殿と参拝する人のための拝殿が幣殿で結ばれている、「権現造り」の建築様式で、日本古来の「木の文化」を象徴する純木造です。

現在の建築基準法では、たとえ社寺建築であろうと防火地域では新たに木造建築は認められていませんが、万全の防災設備をととのえ、防災性能評定委員会の一年近い慎重審議を経て、建設大臣認定第一号として特に木造建築が許可されたとのことです。

樹齢250年といわれる木曽檜が使用されています。


湯島天神から春日通りに戻り、「天神下」の交差点の50mほど手前の左側の路地に入り、「旧岩崎邸庭園」の案内板にしたがって200mほど進むと旧岩崎邸庭園の入り口です。

旧岩崎邸庭園は明治29年(1896年)に岩崎彌太郎の長男で三菱第3代社長の久彌の本邸として造てられました。

往時は約1万5千坪の敷地に、20棟もの建物が並んでいました。現在は3分の1の敷地となり、現存するのは洋館、撞球室、和館の3棟です。


湯島天満宮:泉鏡花 筆塚



旧岩崎邸洋館



旧岩崎邸洋館

木造2階建・地下室付きの洋館は、鹿鳴館の建築家として有名な英国人ジョサイア・コンドルの設計で近代日本住宅を代表する西洋木造建築です。

17世紀の英国ジャコビアン様式の見事な装飾が随所に見られ、イギリス・ルネサンス様式やイスラーム風のモティーフなどが採り入れられています。

洋館南側は列柱の並ぶベランダで、1階列柱はトスカナ式、2階列柱はイオニア式の特徴を持っています。



旧岩崎邸洋館


また、1階のベランダには、英国ミントン製のタイルが目地無く敷き詰められ、2階には貴重な金唐革紙の壁紙が貼られた客室もあります。

岩崎久彌の留学先である米国・ペンシルヴァニアのカントリーハウスのイメージも採り入れられています。

併置された和館との巧みなバランスは、世界の住宅史においても希有の建築とされています。往時は、主に年1回の岩崎家の集まりや外国人、賓客を招いてのパーティーなどプライベートな迎賓館として使用されました。


旧岩崎邸洋館



旧岩崎邸和館

洋館と結合された書院造りの和館は、当時の名棟梁大河喜十郎の手によるものといわれています。完成当時は建坪550坪に及び、洋館を遥かにしのぐ規模を誇っていました。現在は、洋館同様冠婚葬祭などに使われた大広間の1棟だけが残っています。

大広間を中心に巧緻を極めた当時の純和風建築を垣間見ることができます。

床の間や襖には、明治を代表する日本画家・橋本雅邦が下絵を描いたと伝えられる障壁画などが残っています。


ジョサイア・コンドル設計の撞球室(ビリヤード場)は、洋館から少し離れた位置に別棟として建っています。

ジャコビアン様式の洋館とは異なり、当時の日本では非常に珍しいスイスの山小屋風の造りとなっています。

全体は木造建築で、校倉造り風の壁、刻みの入った柱、軒を深く差し出した大屋根など、アメリカの木造ゴシックの流れを組むデザインです。

洋館から地下道でつながっています。また、内部には貴重な金唐革紙の壁紙が貼られています。


旧岩崎邸撞球室



不忍池

江戸期に越後高田藩榊原氏、明治初期は舞鶴藩牧野氏の屋敷であった旧岩崎邸庭園の庭は、大名庭園の形式を一部踏襲しています。広大な庭は、建築様式と同時に和洋併置式とされ、「芝庭」をもつ近代庭園の初期の形を残しています。

往時をしのぶ庭の様子は、江戸時代の石碑、和館前の手水鉢や庭石、モッコクの大木などに見ることができます。

この和洋併置式の邸宅形式は、その後の日本の邸宅建築に大きな影響を与えたとのことです。



不忍池


旧岩崎邸庭園の入り口から北方向に進み、最初の四叉路を右折して50mほど進むと「不忍池西交差点」です。

交差点を横切って真っ直ぐ進むと不忍池です。

交差点を左折し、不忍池を右手に眺めながら不忍通りを500mほど進むと「上野動物園」の池之端入り口です。


上野動物園の蓮



上野動物園




 
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      風来坊


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