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桐生絹遺産めぐり その1 (H26.10.4)


絹遺産めぐり歓迎式典の光景



群馬のキャラも登場

JR東日本の「駅からハイキング&ウォーキングイベント」の「四鉄合同開催・世界遺産登録記念!桐生絹遺産めぐり」に参加しました。

細部説明は「世界遺産『富岡製糸場と絹産業遺産群』と併せて訪れたい絹織物の町「桐生」。群馬県の「ぐんま絹遺産」のうち県内最多の18件が桐生にあります。絹で栄えた街並みや食文化、織物製品など、織都として千三百年を迎える魅力溢れる町です」となっています。



絹撚記念館


コースの概要は次のとおりです。

JR両毛線桐生駅(受付)絹撚記念館旧堀祐織物工場(アッシュ)織物参考館”→森秀織物後藤織物金谷レース工業株式会社(ベーカリーカフェレンガ)無鄰館旧曽我織物工場金善ビル桐生織物会館休館(桐生織物記念館)西桐生駅舎桐生駅(ゴール)


絹撚記念館



絹撚記念館



絹撚記念館

歩行距離約8Km、歩行時間約2時間(施設での見学時間を除く)、所要時間約4時間(施設での見学時間を含む)でした。

初めての桐生訪問でしたから、外観のみの見学となっている場所をのぞき、すべての施設に入って見学しました。

このため、所要時間4時間、約15,000歩でした。



絹撚記念館


今回は桐生市に乗り入れている鉄道4社(JR東日本・東武鉄道・上毛電鉄鉄道・わたらせ渓谷鐵道)が合同で開催する1日限りのイベントということで、桐生駅ではスタート前から歓迎のイベントが開催されていました。

出発前のセレモニーでは、桐生市長の歓迎の挨拶のみでなく、鉄道4社からも歓迎の挨拶があるという力の入れようでした。

県知事が、ぐんまの「たからもの」として登録した絹の遺産です。県内に残る養蚕、製糸、織物などの建物や場所、お祭りなどが対象です。 群馬県では、ぐんま絹遺産をこれから多数登録して、それらをネットワーク化することで地域振興、観光、文化的事業などに役立たせて、群馬をもっともっと元気にしたいと考えています。


絹撚記念館



絹撚記念館

桐生駅南口のロータリーの先の信号のある交差点を左折して、200mほど進んだ左手が「絹撚記念館」です。

「絹撚記念館」は、桐生撚糸工場の事務所として大正6年(1917年)に建設され、現在では桐生市文化財保護課の事務室として利用されています。

木骨石造で、外壁はセメント漆喰塗り、屋根は鉄板葺ですが、建築当初はスレート瓦でした。



旧堀祐織物工場(アッシュ)


桐生撚糸合資会社は、明治35年(1902年)に当時の殖産興業政策により模範工場として設立され、明治41年(1911年)に模範工場桐生撚糸株式会社、大正7年(1918年)に日本絹撚株式会社となりました。広い敷地をもつ大工場で、敷地内にはノコギリ屋根工場が建ち並んでいましたが、現存しているのは事務所棟のみです。

平成6年に「旧模範工場桐生撚糸合資会社事務所棟」の名称で桐生市指定重要文化財となりました。


旧堀祐織物工場(アッシュ)



旧堀祐織物工場(アッシュ)

「絹撚記念館」から100mほど進んだ信号のある交差点を左折し、100mほど進んだJRガードの手前を右折すると右手に「旧堀祐織物(アッシュ)」があります。

堀祐織物工場は、堀裕織物工場は、緯糸に人造絹糸、経糸に絹を使用し独特のリボン織の開発に成功しましました。現存する石造の鋸屋根工場は、外壁を大谷石、内部を漆喰塗で仕上げられています。


本工場は、昭和10年(1935年)頃建築の石造鋸屋根工場です。

石造の鋸屋根工場の多くは柱を立てる木骨造なのに対し、本建物は、大谷石の外壁の上に横架材を直接乗せて小屋組みを作っており、他の建物と大きく異なる構造となっています。

外壁は大谷石を長手に積み、内壁は壁石に直接壁土を塗り、仕上げは漆喰塗りが施されています。

現在は、美容室として利用されています。


十ヶ塚稲荷神社



雷電神社

「旧堀祐織物(アッシュ)」から信号のある交差点に戻り、そのまま南西方向に100mほど進んだ右手が「中央公園」です。

さらに100mほど進んだ左手に「十ヶ塚稲荷神社」があります。

さらに100mほど進んだ信号のある交差点を左折して300mほど進むと「錦町十字路」交差点です。



雷電神社


「錦町十字路」交差点を左折して、200mほど進んだ左手が「雷電神社」です。

「雷電神社」は関東地方を中心に、日本全国に点在する神社で、一様に雷除けの神とされていますが、祭神や由緒は必ずしも一定でないようです。

桐生市の雷電神社は、関東地方に数多い「雷電さま」の総本宮とのことです。

桐生市の雷電神社は、歴史が古く、1400年以上さかのぼるとのことで、推古天皇の御代、聖徳太子が天の神の声を聞いて、伊奈良の沼に浮かぶ小島に祠を設け、天の神をお祀したのが最初とされています。


本町通り



桐生倶楽部の建物

主な御祭神は、天地に轟き、火と水の大いなる働きをつかさどりたもう、火雷大神・大雷大神・別雷大神です。また、併せて、学問の神、管原道真公が祀られています。

雷電神社の本殿は、正面の真ん中に一本柱が立ち、その左右に扉が付くという、全国で七ヶ所しか見られない、神秘の造りです。大いなる雷電様のお力が外に出ないようにし、いかなる災厄をも祓い去って下さる大神様の偉大な御力を私たちのためにお恵み戴こうというものとのことです。



織物参考館


雷電神社から北東方向に500mほど進んだ「本町5丁目」の交差点を右折し、300mほど進んだ「東小学校」先の交差点を左折し、中通りに沿って200mほど進んだ信号のある交差点を右折して、100mほど進むと右手が「織物参考館」と「森秀織物」です。


織物参考館



織物参考館



織物参考館



織物参考館

「森秀織物」は、明治10年(1877年)半農半工の形式で始まり、当初は力織機ではなく手機足踏み等でした。

その後初代の森島秀により力織機による御召の製織を研究して成功を収め、以来各工程を逐次機械化し、現在のような設備と方法になっています。


戦時中は織物特に御召など高級織物の製造は極度に制限されましたが、森秀織物は御召製造技術保存工場に指定され、その技術の維持、復興に寄与しています。

昭和54年(1979年)に、桐生の歴史と織物文化を知る一つの窓口として「織物参考館」を設立しました。


織物参考館



織物参考館



織物参考館



織物参考館



織物参考館

「織物参考館紫(ゆかり)」は、森秀織物の旧釜場、旧整経場、旧鋸屋根工場などを利用した体験型博物館です。

「織物参考館」では、織物の歴史を知ることができるように、消えつつある古い染織技術、文化の発展、足跡を物語る貴重な資料1200点余りが展示されています。

古器具、古織機等の保全、管理、公開を軸として、現在行なわれているまゆから糸をとり、染色して織り上げるまでのシステムを展示し、染織産業に対する理解と認識を深めてもらおうと考えられています。


「織物参考館“紫”」の隣りにある木造鉄板葺の3連の鋸屋根工場は、現在も稼働している「森秀織物」の工場です。高級織物であるお召しの技術を活かし、文楽人形や歌舞伎の衣装などを織るなど、桐生織物の伝統的技術の復元とその継承に努めています。

この工場も見学することができます。


織物参考館



森秀織物の工場



森秀織物の工場

目の前で縦糸と横糸が交わり織りだす数々の彩やかな織物が生まれていく様子を見学して、桐生織物1300年の歴史を実感してもらおうという企画です。

現在の織物工場の機械は、織る工程がコンピュータで管理されているとのことです。

「織物参考館紫(ゆかり)」では、各グループに案内人がついて、詳しく説明してくれます。



後藤織物


「織物参考館紫(ゆかり)」の前にある教会の反対側にあるのが「後藤織物」です。

「後藤織物」は、洋式染色技術を導入し織物の改革を行うなど、明治初期の桐生織物業に大きな貢献を果たしました。

現在も織物生産を行っており、現存する木造の鋸屋根工場のほか、繭蔵、織物倉庫などは、織物生産システムそのものを現しています。


後藤織物



後藤織物

「後藤織物」の主屋は、明治前期に建築された後、大正14年(1925年)に増築され、機業家の住居から事務所兼作業場への転換を物語る建造物です。

工場は切妻造りの工場に鋸屋根工場を増築したもので、桐生における戦後復興を物語る施設の一つとのことです。

主屋をはじめとする建物群の構成は、染色・撚糸・製織といった織物生産のシステムをそのまま現しています。後藤家は桐生織の伝統を引き継ぐ有数の機業家であり、後藤織物の建造物は、桐生織物の歩みを示す、歴史的にも貴重な建造物群です。



後藤織物




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        風来坊


後藤織物


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