散策スポット目次
HOME
前ページ
次ページ
中之条駅では風鈴のお出迎え
中之条駅
JR東日本の「駅からハイキング」のイベント「夏のなかんじょ 裏道・小道・散歩道」に参加しました。 細部説明は「昔、地域の人に愛された酒蔵の跡地や、江戸時代から続くとされる伝統行事「鳥追い祭」に使われる、大小11個の鳥追い太鼓の展示ギャラリーなど、昔の人の暮らしぶりや町の歴史にふれながら散策を楽しんでください」となっています。
コースの概要は次のとおりです。 中之条駅→ふるさと交流センターつむじ(スタート)→旧廣盛酒造→鳥追い太鼓ギャラリー→金比羅宮→近藤公園→胡桃沢遊歩道→町田家住宅→林昌寺→小渕恵三像→ツインプラザ→歴史と民族の博物館「ミュゼ」→ふるさと交流センター・つむじ足湯→ふるさと交流センター・つむじ(ゴール)→中之条駅
中之条駅は花で飾られていました
ふるさと交流センター・つむじ
コースの歩行距離は約4.8km、所要時間約3時間(施設での見学時間を含む)です。 コースは林昌寺、歴史と民族の博物館「ミュゼ」以外は、見所も少なく所要時間は2時間でした。 中之条駅からふるさと交流センターまで約1Kmあり、トータルで約7Km、約2時間30分でした。 暑い中での散策でしたので、距離が短くて良かったという感じです。
中之条駅から北方向に200mほど進んだ「中之条駅前」交差点を左折し、200mほど進んだ「伊勢町上」の交差点を右斜め方向に進みます。 緩やかな坂を上り、道なりに600mほど進んだ右手が「ふるさと交流センター・つむじ」です。 「中之条駅前」交差点から、「ふるさと交流センター・つむじ」まで歩いてきた道が「日本ロマンチック街道」です。 「日本ロマンチック街道」は小諸市から日光市まで全長約230Kmを通過する広域観光ルートです。この名称はドイツのロマンチック街道に由来しています。
旧廣盛酒造
鳥追い太鼓ギャラリー
「ふるさと交流センター・つむじ」の館内には、地産の食材を活かしたカフェ、伝統工芸品や作家の1点物などが揃う雑貨ショップがあります。また、お祭り広場ではイベントなど開催され、その周りには、食事処などのテナントショップ7店が集合する「横町」があります。 また、四万温泉の湯を気軽に楽しめる足湯が整備されているほか、ワークショップの開催やアートの展示なども行われ、文化や芸術に気軽に触れることができる施設です。
「ふるさと交流センター・つむじ」で受付を済ませ、「日本ロマンチック街道」を西方向に100mほど進んだ路地を右折して100mほど進むと、右手が「旧廣盛酒造」で、その奥に「鳥追い太鼓ギャラリー」があります。 「旧廣盛酒造」は、明治18年(1885年)の蔵元で、近年まで「廣盛」「不動の霊水」といった銘柄の日本酒が造られていましたが、2007年に中之条町が土地と建物を買い取りました。 既存建物群は老朽化が進んでいましたが、比較的良好な状態の事務所棟、貯蔵庫、倉庫などを改修してイベント施設として活用を図っています。 その一つが、貯蔵庫を改修した「鳥追い太鼓ギャラリー」です。
鳥追い祭は、田畑の作物を荒らす鳥や獣を追い払い、五穀(米・麦・あわ・きび・豆)やその他の作物の豊かな実り・町内厄除・家内安全を願って始められたといわれています。 毎年1月14日には、伊勢宮での神事の後に町中を練り歩き、「鳥追いだ、鳥追いだ、唐土(とっと)の鳥を追いもうせ、セッセッセ、サーラバよって追いもうせ」の掛声とともに太鼓をたたきます。厄年の人や商店等から厄落としや商売繁盛を祈ってみかん投げも行われています。
「鳥追い太鼓ギャラリー」では、1号〜11号の鳥追い太鼓を常設展示しています。 鳥追い太鼓1号は直径1.03mで慶応3年(1867年)製。2号は直径1.03mで文久元年(1861年)製。3号は直径1.00mで慶応3年(1867年)製です。 材料のケヤキは茨城県真壁郡産で、太鼓の内面には江戸浅草の太鼓師・丸山重好が作ったと書かれており、他の太鼓にも、宝暦13年(1763年)から安政5年(1858年)の文字が書かれています。大きさや年代からきわめて大切なものと認められ、昭和58年(1983年)に群馬県重要有形民俗文化財に指定されました。
金比羅宮
「旧廣盛酒造」の先を右折して東方向に50mほど進んだ左手が「金比羅宮」です。 「金比羅宮」に参拝したのち、そのまま50mほど進むと左手がブックセンターです。 ブックセンターの先を左折して100mほど進むと、左手が「中之条町役場」で、右手が「近藤児童公園」です。
近藤児童公園
近藤児童公園は、胡桃沢(くるみざわ)の眺望と、木陰や芝生広場で、やすらぎの空間を創出しています。 近藤児童公園には、休憩施設として眺めのいいテラスがあります。 テラス脇の階段を下りると、胡桃沢の川沿いにウォーキング・ロード(胡桃沢遊歩道)があります。
近藤児童公園のテラス
テラスからの展望
胡桃沢遊歩道
今回は、この胡桃沢遊歩道を200mほど散策した後、丁字路を右折し緩やかな坂を登って道なりに200mほど進むと「日本ロマンチック街道」に戻ります。 最初に中之条駅から「ふるさと交流センター・つむじま」で歩いた道です。 左折して「日本ロマンチック街道」を50mほど進むと「町田家住宅」です。
町田家住宅
町田家は中之条町屈指の旧家で、代々重兵衛を襲名して名主を務め、文化年間(1804〜1817年)には大総代として村役人の代表を務めました。 慶応3年(1867年)町田重平は、中之条町を支配していた殿様(旗本)の計らいで、鳥追太鼓をつくり、町の発展に尽力しました。また、明治6年(1873年)に群馬県第20大区(73ヶ町村)の大区長につくと、破風造りの入口から3部屋を役所とし、間もなく検事出張所(警察と裁判所のような役所)も併設しました。屋敷内にある「たたき石」は、その名残といわれています。
町田家住宅から中之条駅に向かう日本ロマンチック街道
また、明治11年から20年までは、吾妻郡役所として使われました。 江戸時代末期から明治維新の混乱期を経て、政治の安定をみるまで、地域の中心的役割を果たしてきた建物です。 町田家住宅は、国登録有形文化財です。
林昌寺
「町田家住宅」から「日本ロマンチック街道」に沿って中之条駅の方向に300mほど進んだ左手奥に「林昌寺」があります。 「林昌寺」は平安時代に、僧の長馨によって創建された天台宗の寺でした。
寺は荒廃しましたが、戦国時代に真田幸隆の弟、矢沢薩摩守頼綱によって再建され、沼田真田氏の保護下に寺勢を伸ばしました。
林昌寺のシダレザクラ
境内の観音堂と鐘楼の間にある、しだれ桜の古木(目通り3.8m、樹高16m)は年々見事な花を咲かせ、観光名所となっています。このしだれ桜は、町の指定天然記念物に指定されています。 本堂・庫裡の大伽藍と、元文年間(1736〜1741年)建立の山門、貞享元年(1684年)建立の鐘楼が満開のしだれ桜によく調和しているとのことです。
「林昌寺」から東側に出て左折し、100mほど進んだY字路を右方向に150mほど進むと「ツインプラザ」で、その手前に「小淵恵三像」があります。 「小淵恵三元総理」は、昭和12年(1937年)中之条町に生まれ、昭和38年(1963年)に26歳の若さで選挙に出馬し初当選し、以来12回連続当選を果たしました。 42才で初入閣、平成10年自民党総裁に就任し、第84代内閣総理大臣に指名されました。 総理大臣の時に突然の病に倒れ、志半ばで、62歳の生涯を閉じました。
小淵恵三像
ツインプラザ
日本ロマンチック街道
「ツインプラザ」は、様々な文化活動に対応した交流拠点としての学習センターと、幅広い分野の本を所蔵し、アットホームな雰囲気の図書館を併設した生涯学習施設です。 敷地面積は約1万4千平方メートルで、建物はRC造2階(一部3階)です。
歴史と民族の博物館・ミュゼ
「ツインプラザ」から体育館の傍を通り、中之条税務署から50mほど進んだ信号のない四叉路を左折して、道なりに300mほど進むと「日本ロマンチック街道」に戻ります。 右折して「日本ロマンチック街道」を300mほど進んだ右手奥が「歴史と民族の博物館・ミュゼ」です。
「歴史と民族の博物館・ミュゼ」の建物は、旧吾妻第三小学校の校舎の校舎です。 旧吾妻第三小学校の本館は、明治15年(1882年)着工、第105学区吾妻第三小学校として明治18年(1885年)に開校しました。 群馬県唯一の洋風小学校建築で、明治15年の小学校建築心得により、両翼を折り曲げ左右対称形になっています。 昭和53年(1978年)には、明治初期の洋風学位建築の数少ない建造物として、群馬県の重要文化財に指定されました。
昭和57年(1982年)に資料館として開館し、平成22年(2010年)に博物館として登録されました。 館内には中之条町を中心とした資料およそ6000点あまりが、2階から原始・古代・中世・近世資料の順で展示され、1階では展示室別に、明治・大正・昭和資料、温泉資料、民俗資料などが飾られています。
日本ロマンチック街道の建物
「歴史と民族の博物館・ミュゼ」から「日本ロマンチック街道」を50mほど進むと「ふるさと交流センター・つむじ(ゴール)」です。 つむじの足湯で疲れを癒やした後、中之条駅に向かいました。 「歴史と民族の博物館・ミュゼ」から中之条駅までの、日本ロマンチック街道沿いには、歴史を感じる建物を数多く見かけることができました。 風来坊