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氏家雛めぐり (H26.3.4)


eプラザ壱番館の雛飾り



eプラザ壱番館の雛飾り



eプラザ壱番館の雛飾り

JR東日本の「駅からハイキング」のイベント「雛が来た道〜雅へのあこがれと早春の野州路を巡る〜」に参加しました。

サブタイトルは「奥州街道を辿って阿久津河岸と氏家宿のいにしえに想いを馳せながら楽しく歩けるコースです」です。


細部説明は「豊かな自然の中の奥州街道を歩きながら阿久津河岸と氏家宿の歴史を探訪し、氏家雛めぐりを通して地元の人達とのふれあいで心癒やせるハイキングコースをご用意しました」となっています。


コースの概要は次のとおりです。

JR氏家駅→eプラザ(受付)→鬼怒川堤防散策(ゆうゆうパーク、むすびの鐘)→浮島地蔵→船玉神社→与作稲荷神社→高尾神社→そうめん地蔵→宝高屋→寛方・タゴール平和公園→氏家雛めぐり→光明寺→西導寺→eプラザ弐番館→eプラザ(ゴール)→JR氏家駅


eプラザ壱番館の雛飾り



eプラザ壱番館の雛飾り



eプラザ壱番館の雛飾り



eプラザ壱番館の雛飾り

コースの歩行距離は約10km、歩行時間約3時間(施設での見学時間等を含む)、所要時間約4時間(施設での見学時間を含む)です。

前半は街めぐりのコースでしたので、2時間30分でコースを踏破(約1万4千歩)したのち、街並みの雛めぐりをしました。

結果として、約4時間、約2万歩でした。


奥州街道が通る氏家地区は昔、氏家宿として栄え、商家が多く、代々伝わる雛人形も数多く残っています。

それを活用し、たくさんの来場者に雛人形を見て回りながら市民との交流、市街地の活性化を目的として始まったのが「氏家雛めぐり」です。


「氏家雛めぐり」の主催は「氏家雛めぐり実行委員会」です。

今年の開催期間は、2月8日(土)から3月9日(日)でした。


eプラザ壱番館の雛飾り



eプラザ壱番館の雛飾り



eプラザ壱番館の雛飾り

「氏家雛めぐり」のイベントは、1回目は30数店の参加でしたが、年々参加者が増え、11回目の今年はJR氏家駅前及びさくら市役所周辺の商店、施設、個人宅など、約70箇所に様々な雛人形が展示されています。

商店街の女将や地元の主婦が一年がかりで作成した吊るし雛も一堂に飾られており、大変見応えがあります。

お飾り処は赤いのぼり旗が目印です。



eプラザ壱番館の雛飾り


「eプラザ壱番館」の2階の「駅からハイキング」の受付に行くと、「駅からハイキング」の地図のほかに、「氏家雛めぐり」のパンフレットが配布されました。

パンフレットを開くと、「氏家雛めぐりマップ」が掲載されており、70箇所を越える展示場所が表示されています。


eプラザ壱番館の雛飾り



eプラザ壱番館の雛飾り


eプラザ壱番館の雛飾り



eプラザ壱番館の雛飾り



eプラザ壱番館の雛飾り



eプラザ壱番館の雛飾り

受付の「eプラザ壱番館」の2階にはさまざまな雛飾りが展示されていました。

また、「eプラザ壱番館」と2階でつながっている「eプラザ弐番館」には、「下野人形」「押絵」「手まり」「紙紐」などさまざまな雛人形が展示されていました。

また、人形師福田東久氏が栃木県産のとちおとめをモチーフに1年がかりで「うじいえ雛めぐり」のために製作した、1.8mもある巨大な「とちおとめ雛」も展示されていました。愛称は「とちおくん」と「おとめちゃん」とのことです。


「駅からハイキング」の「氏家雛めぐり・街めぐり」のコースには、案内板が設置されていましたので、散策コースの細部説明は割愛します。

「氏家雛めぐり・街めぐり」のコースは、昨年参加して大変良かったので、今年も参加したところ、コースは昨年とは全く異なっていました。

「駅からハイキング」に参加している人との話を総合すると、1年おきにコースが異なっている感じです。


eプラザ壱番館の雛飾り



氏家駅西口から真っ直ぐ延びる道路 歩道に案内マークが


eプラザ弐番館」から氏家駅に戻り、東西を結ぶ連絡通路(氏家東西線)を利用して氏家駅の西口に出ます。

西口から正面に真っ直ぐ伸びている道路を300mほど進み、橋を渡ったところで左折し小川に沿って1kmほど進み、小川と別れてさらに200mほど直進すると「鬼怒川堤防」です。


鬼怒川といっても、鬼怒川渓谷のイメージではなく、川幅は広く、河川敷を利用して公園「ゆうゆうパーク」が整備されています。

「ゆうゆうパーク」は広大な芝生広場や園内を流れる小川があり、周辺には約2kmの園路や桜堤があり、春には多くの人の訪れる桜の名所となっています。

また堤防からは、雪に覆われた日光、那須連山、高原山を望むことができました。

この付近は鬼怒川渓谷から50Kmほど下流ですが、随分感じの異なる鬼怒川でした。



鬼怒川の堤防 前方に那須岳が!



鬼怒川堤防からの展望 前方に奥日光の山々が

鬼怒川は関東平野を北から南へと流れ利根川に合流する一級河川です。

全長は176.7kmあり、利根川の支流で最も長い川です。

江戸時代以前の鬼怒川は香取海に注ぐ大河でしたが、徳川家康の利根川東遷事業により、もともと江戸湾に注いでいた利根川が東遷され鬼怒川に近い流路に付け替えられたうえで、鬼怒川は利根川に注ぐ河川とされました。


近代になって鬼怒川の文字が当てられるようになりましたが、江戸時代までは毛野国(栃木・群馬の旧国名)を流れる「毛野川」、あるいは穏やかな流れを意味する「衣川」「絹川」と書かれたとのことです。

鬼怒川堤防に上った時は、川幅が広いですので、一瞬すでに利根川に合流しているのと思いましたが、合流点は遙か下流の守谷市です。


鬼怒川の堤防上の散策路



旧森家長屋門

ここまでは昨年とほぼ同じコースです。昨年はここから鬼怒川堤防を桜並木に沿って上流に向かって進みましたが、今年は下流に向かって進みます。

「利根川堤防」を下流に向かって上流に向かって400mほど進むと堤防に白色の橋が架かっており、この橋にむすびの鐘があるようですが、見落としました。


むすびの鐘のある橋からを過ぎると林に囲まれた公園の遊歩道になり、300mほど進むと「さくら市ミュージアム」ですが、休館中でした。

「さくら市ミュージアム」の西側が「勝山城址」ですが、今回は訪ねませんでした。

「さくら市ミュージアム」の手前に、「旧森家長屋門」がありました。

この長屋門は、喜連川町から移築したもので、天保年間の建造と推定されています。


さくら市ミュージアム



浮島地蔵

「さくら市ミュージアム」から公園の中の道を100mほど進むと道路にぶつかります。

奥州街道(陸羽街道)です。右折して奥州街道に沿って1kmほど進むと歩道橋があります。歩道橋の少し先を案内板に従って右折し、道なりに200mほど進んだ右手が上阿久津の「浮島地蔵」です。

鬼怒川沿岸の人たちが恐れたのは、洪水や水死などの水難です。それを救済してもらおうと水神や地蔵などの民間信仰が生まれ、特に浮島地蔵が信仰されてきました。


どんな洪水にも流れず浮いてその地にとどまり救済する霊力があるのが浮島地蔵なのです。
昨年訪ねた大中の浮島地蔵も五十里(いかり)洪水の時でも浮いていたそうです。上阿久津の浮島地蔵は鬼怒川の大水で重い石地蔵なのに浮きながら上阿久津に流れ浮いたという伝説があります。

この地蔵の台座には元文4年(1739年)とあります。「八日念仏講中」「女人等現当二世安楽所」の銘文は毎月8日に女性たちが念仏講を供養してきたことから、現在では、子授け・安産・子育てなど女性に関係の深い信仰になっているとのことです。

「浮島地蔵」から200mほど進むと「阿久津河岸・船玉神社」です。

徳川家康が江戸に入城すると、領地である関八州諸国からの建築用材や食料の輸送はもっぱら川船でした。江戸幕府が開かれ、やがて参勤の制が布かれると東奥の糧穀や物産などは、阿久津まで陸送され、ここから川船で江戸に送られるようになり、さらに商用の荷駄や旅人もこれを利用するようになりました。川船の発着所を河岸といいます。


阿久津河岸は奥州街道の鬼怒川渡河点にあたり、最上流に位置するという地の利を得て、慶長以来、明治の中期まで水陸交通の要地として300年間繁栄を続けました。

鬼怒川上流独特の川船を「小鵜飼船」といい、また、船頭たちが水上安全の守護神として河岸場にまつったのが、船のみたま・船玉大明神です。境内は船の形を模して作られたといわれており、舳先の位置に神殿が建てられており、一般の神社と趣を異にしています。

細長い境内と思いましたが、残念ながら境内を撮影しておりません。


船玉神社



与作稲荷神社

「阿久津河岸・船玉神社」から道なりに200mほど進んだ丁字路を左折し、200mほど進んだ「上阿久津」交差点を横断して道なりに50mほど進むと「与作稲荷神社」です。

「与作稲荷神社」は遙か昔は、勝山城の一隅にまつられていましたが、いくつかの変遷を経て嘉永3年(1850年)に現在地に祀られました。

村人や奥州街道を旅する者、鬼怒川で船を操る船人がこの稲荷を詣でるようになると、様々な霊験が現れ、奇瑞が起こったといわれ、爆発的な稲荷信仰が起きました。門前には稲荷町ができたとのことですが、河岸の衰退とともに、境内の賑わいも遠い昔の物語となってしまったようです。



高尾神社


「与作稲荷神社」から裏手に出て、案内板に従って道なりに400mほど進むと「高尾神社」です。

人間の能力では自由にならないのが天候です。それを支配する神が高尾神で、天空や地の底・闇の中にいたる神々の集団です。雷神・龍神・水神などとなって人々に信仰されてきました。

上阿久津の高尾神は鬼怒川と関係の深い水神(龍神)信仰が原点と考えられています。


高尾神社


高尾神社からすぐ傍の奥州街道に戻り、「さくら市ミュージアム」の方に向かって、先ほど来た道を700mほど戻ると「そうめん地蔵」です。

境内の案内板は「将軍地蔵」となっています。

源義家が奥州に進軍したとき鬼怒川釜ヶ淵の悪蛇のため進めませんでした。宗円法師の祈りで将軍地蔵が出現して悪蛇を退散させたので、勝山城を守護する寺院として堂原に将軍山地蔵院満願寺を建てました。


室町時代の頃、ここから日光に修行に行ったお坊さんが、意地悪山伏に素麺を無理矢理食べさせられて気絶しました。

別のお坊さんが来て日光中の素麺を食べ尽くしたので山伏は降参しました。お坊さんは将軍地蔵の姿となりお坊さんを連れて勝山に帰りました。

これから「そうめん地蔵」伝説が生まれ、日光責め・強飯式が起こったといわれています。

戦国時代に那須勢によって満願寺は焼失しましたが、江戸時代に再建されて堂原地蔵堂となり、奥州街道の道中安全にご利益があるので有名になり、遠く秋田・会津の商人たちから奉納された石灯籠などが残されています。


国道4号線



宝高屋本店の雛飾り



宝高屋本店の雛飾り

そうめん地蔵から案内板に従って、国道4号線を横切り、さらにJR宇都宮線を横切って3kmほど進むと氏家の市街地に戻ってきます。

「氏家交差点」を過ぎるとあちこちに赤いのぼり旗が建っており、氏家雛めぐりの本番となります。


「氏家交差点」から200mほど進んだ右手が「宝高屋本店」です。

「宝高屋」は4代に渡って氏家で米の商いをしている老舗です。

お店の中に明治時代のおひな様が飾られていました。

明治時代のおひな様がどのように作られているのかを、お店のご年配の方が説明して下さいました。


宝高屋本店の雛飾り



寛方・タゴール平和公園

「宝高屋本店」のすぐ近くに「寛方・タゴール平和公園」があります。

「寛方・タゴール平和公園」は、日本画の巨匠・荒井寛方の業績を顕彰するとともに、寛方とインドのノーベル賞詩人で思想家のタゴールの友情を記念して作られた公園です。

園内にはタゴールが寛方に贈った惜別の詩を刻んだモニュメント、寛方の代表作を陶板画にして飾ったギャラリー、茶室やせせらぎ配した庭園などが設けられています。


「寛方・タゴール平和公園」から案内板に従って裏道に入り、400mほど進むと光明寺です。

「光明寺」は、さくら市南部にある勝山城の城主芳賀氏が、城の近く美女木地区に、応永34年(1427年)に創建したと伝えられています。

その後、慶長2年(1597年)宇都宮氏の改易に伴い、勝山城が廃城になると、光明寺も現在地に移されたといわれていますが、江戸時代の火災や水害によって記録が失われており、正確な時期はわかっていません。


光明寺



光明寺

青銅不動明王坐像は、火事や水害など、打ち続く災難から氏家宿を守るため、光明寺第12世権大僧都法印広栄が発願し、宿の浄財を集めて、宝暦9年(1759年)に宇都宮鉄砲町の名工戸室卯兵衛が鋳造しました。

後背の火炎を含まずに、2.94mの高さがあり、右手に宝剣、左手に衆生済度の象徴である羂策を握り締めています。



西導寺


「光明寺」から案内板に従って300mほどで、「西導寺」です。

「西導寺」は建久2年(1191年)に氏家氏の始祖で勝山城を築いた宇都宮公頼が開いたとされる古寺です。

本堂は天明4年(1784年)に建てられたもので、間口8間、奥行間7間、木造平屋、唐破風、入母屋造り、銅板葺きです。

氏家地方の江戸後期の代表的寺院建造物で、さくら市有形文化財に指定されています。


西導寺



西導寺

同じく文化財に指定されている弥勒堂は延宝元年(1673年)に建てられたもので、間口8間、奥行き7間、入母屋造り、銅板葺きで、建物全体が極彩色で彩られており、細部には竜や獅子、象の彫刻が施されています。


西導寺では五輪塔が有名です。

五輪塔の起源は不明ですが、宝蓋をかけた舎利瓶の形に密教思想の万物生成の要素である空・風・火・水・地をあてはめたと考えられています。日本では平安時代末期に造立が始まり、中世以降石塔といえば五輪塔を指すまでに普及しました。

写真の五輪塔は、西導寺境内に分散していた各塔を現在地に移築したもので、形態を比較すると空輪の形と水輪のバランスが違っており、造立に時間差があると推定されています。

これらは一般の五輪塔に比べ大型であり、威風堂々とした姿は古都鎌倉に存在してもひけをとらないとのことです。西導寺のほか、光明寺と堂原地蔵堂に大型の五輪塔があるとのことです。


西導寺



蔦地蔵

西導寺から氏家駅に行く途中の、西導寺の敷地に隣接した場所に「蔦地蔵」があります。

蔦地蔵とか定家地蔵とも呼ばれる彫刻は、高さ1.3mの安山岩に地蔵菩薩座像と蓮弁台座までを丸彫りにした中世期の石仏です。

右手に錫杖、左手に摩尼宝珠を持つ延命地蔵の形で法衣や袈裟も的確に刻まれているとのことです。

この石仏が正面だけでなく、周囲を巡りながら拝するために、丸彫りは丹念に仕上げられ、重量感あふれる中世石仏となっています。



街中の雛飾り


「eプラザ壱番館」に戻ってゴールです。

今回の駅からハイキングのコースでは、雛飾りをあまり見ることができませんでしたので、「氏家雛めぐりマップ」を片手に、赤いのぼり旗を目印に街中を散策しました。


街中の雛飾り



街中の雛飾り



街中の雛飾り



街中の雛飾り

「eプラザ壱番館」からJR氏家駅に戻り、駅から正面方向(東方向)に進むと、右手に「eプラザ三番参番館」があり、100mほど進むと右手が「西導寺」で、左手に「古香庵」です。

ここには数多くの吊し雛が飾られていました。



氏家雛めぐり まちかど館


「古香庵」から道なりに100mほど進んだ「氏家駅東入口」の交差点を左折して、100mほど進んだ右手が「薄井屋呉服店」です。

このお店の中に見事な雛飾りがありました。


氏家雛めぐり おみやげ館



街中の雛飾り



街中の雛飾り

「薄井屋呉服店」からさらに100mほど進んだところが「まちかど館」です。

「まちかど館」が、かつての料亭を利用したイベントスペースのようで、この時期は雛飾りが行われていました。

比較的狭いスペースですが、素晴らしい雛飾りを見ることができました。



街中の雛飾り



街中の雛飾り


「まちかど館」のある「上町交差点」を右折すると、「さくら市氏家公民館」「さくら市氏家図書館」「さくら市役所」などの雛飾りを見ることができます。

さくら市役所から「上町交差点」に戻り、先ほどとは反対方向に進み、琴平通り商店街の雛めぐりをしながら氏家駅に戻りました。


関連のホームページ

 氏家雛めぐり


      風来坊


街中の雛飾り


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