どんな洪水にも流れず浮いてその地にとどまり救済する霊力があるのが浮島地蔵なのです。
昨年訪ねた大中の浮島地蔵も五十里(いかり)洪水の時でも浮いていたそうです。上阿久津の浮島地蔵は鬼怒川の大水で重い石地蔵なのに浮きながら上阿久津に流れ浮いたという伝説があります。
この地蔵の台座には元文4年(1739年)とあります。「八日念仏講中」「女人等現当二世安楽所」の銘文は毎月8日に女性たちが念仏講を供養してきたことから、現在では、子授け・安産・子育てなど女性に関係の深い信仰になっているとのことです。
「浮島地蔵」から200mほど進むと「阿久津河岸・船玉神社」です。
徳川家康が江戸に入城すると、領地である関八州諸国からの建築用材や食料の輸送はもっぱら川船でした。江戸幕府が開かれ、やがて参勤の制が布かれると東奥の糧穀や物産などは、阿久津まで陸送され、ここから川船で江戸に送られるようになり、さらに商用の荷駄や旅人もこれを利用するようになりました。川船の発着所を河岸といいます。
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