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古河桃まつりと古河の新名所めぐり (H26.3.28)


JR古河駅



JR古河駅

JR東日本の「駅からハイキング」のイベント「古河桃まつりと古河の新名所めぐり」に参加しました。

サブタイトルは「春の訪れを告げる恒例の古河桃まつりが、今年も古河総合公園にて開催されます」です。

細部説明は「歴史と文化の薫る古河の新名所として、旧古河城の文庫蔵や乾蔵と伝えられる蔵を活用したお休み処『坂長』と、江戸時代に花街として栄えた横山町にこのたび建てられた地域交流センター(はなももプラザ)に展示してある豪華な『古河屋台』を是非ご覧下さい」となっています。


コースの概要は次のとおりです。

古河観光案内所(古河駅構内)(受付)→旧日光街道→古河総合公園(古河桃まつり会場)→長谷観音→古河歴史博物館→鷹見泉石記念館・奥原晴湖画室→古河文学館→お休み処「坂長」→篆刻美術館→永井路子旧宅→正定寺→雀神社→地域交流センター(はなももプラザ)→観光案内所(ゴール)


旧日光街道



古河総合公園



古河総合公園

コースの歩行距離は約8km、歩行時間約2時間(施設での見学時間等を除く)、所要時間約3時間(施設での見学時間を含む)です。

古河総合公園で桃の花をあちこち見て回ったこと、古河は初めてでしたので歴史博物館等の施設にすべて見学したことなどから、所要時間4時間15分、約1万6千歩でした。


古河観光案内所で受付を済ませ、西口から前方に300mほど進んだ信号を左折すると「旧日光街道」です。

「旧日光街道」に沿って700mほど進んだ「原町」交差点で左斜め方向に進む日光街道と別れ、真っ直ぐ500mほど進むと「鴻巣」交差点です。

更に300mほど進むと右手が「古河総合公園(古河桃まつり会場)」の正面入口です。


古河総合公園



桃まつり会場



桃まつり会場



桃まつり会場

古河総合公園は、25ヘクタールに及ぶ自然の中にある広大な公園です。

春の桃をはじめ、四季折々の美しい花を咲かせ市民の憩いの場となっています。

また、世界の主要な文化景観の保護と管理を目的とした顕著な活動に対して功績をたたえることを目的とした、ユネスコの「メリナ・メルクーリ国際賞」を、2003年に日本で初めて受賞しています。


古河総合公園は正面入り口から入ると右手が桃まつり会場、左手には公方様の森が広がっています。

古河公方館跡は、足利成氏が古河にいた時の別館で鴻ノ巣御所とも呼ばれました。

天正18年(1590年)、秀吉が小田原北条氏を降ろして関東を制した時、5代足利義氏の娘・氏女(うじひめ)が古河城からここに移っています。

また、旧中山家住宅や旧飛田家住宅など茨城県指定や国指定の重要文化財など貴重な史跡が保存されています。


桃まつり会場



桃まつり会場


桃まつり会場



桃まつり会場



桃まつり会場


桃まつり会場



桃まつり会場



桃まつり会場



桃まつり会場

古河の桃林は、江戸時代初期に古河藩主・土井利勝が江戸で家臣の子供たちに拾い集めさた桃の種を古河に送り、農民に育てさせたのが始まりです。領地では燃料となる薪が乏しかったことから成長が早い上、果実は食料になる桃が選ばれたそうです。

現在の桃は古河市が古河総合公園開園を機に、花を観賞するための桃を植えて桃林を復活させたもので、5種類の花桃、約2000本が植えられています。


今年も第38回古河桃まつりが、3月20日(木)〜4月6日(日)の間、開催されています。

今年は寒さのため桃の開花が遅く、古河総合公園の桃も5分咲きの状況でした。

古河の桃祭りは4月6日までですが、開花情報からは、4月に入って訪ねるのが適当ですが、駅からハイキングのイベントが3月28日までということで、最終日に訪ねることにしました。


桃まつり会場



古河桃むすめ



古河桃むすめ

桃祭り会場を彩る花桃は、「矢口」「源平」「菊桃」「寿星桃」「関白」の5種類で、「寿星桃」と「関白」は白色です。

「古河総合公園」の正面入口の反対側からでて、案内図にしたがって北方向に500mほど進むと「市役所古河庁舎」の西側となります。

さらに500mほど進んだ「子の神社」の先の四叉路を左折して100mほど進んだ右手が長谷観音です。



長谷観音


長谷観音は真言宗豊山派の寺院です。

戦国時代の明応2年(1493年)、初代古河公方の足利成氏が古河城の鬼門除けとして、鎌倉の長谷寺から十一面観世音菩薩立像を勧請し、堂舎を建立したことが起源です。

江戸時代には、歴代古河城主の祈願所となりました。

文政13年(1830年)頃に書かれた『古河志』には、大和(奈良県)および鎌倉にある長谷観音と並び、「三長谷」と呼ばれていると紹介されています。


長谷観音



長谷観音

明治初年(1868年)に廃寺となり、八間四面の本堂も破壊されたが、大正3年(1914年)、有志の寄付により元の地に再興されました。

日本三大長谷観音の一つとされる由来としては、一本の楠から大和・鎌倉・古河の長谷観世音像が彫られたとも口伝されています。



古河歴史博物館


長谷観音の北側を東方向に50mほど進んだ左手が「古河歴史博物館」です。

「古河歴史博物館」は古河城の諏訪曲輪跡地に建てられています。

本館の展示ホールにはオランダ製のストリートオルガンが置かれています。これは古河藩主土井利位やその家老であった鷹見泉石がオランダから知識を得たことを象徴しているとのことです。


古河歴史博物館



古河歴史博物館

展示室1では、洋楽に造詣の深かった古河藩家老・鷹見泉石が遺した資料を展示しています。鷹見泉石が今日に伝える資料は、幕府政治の中枢にあった藩主、土井利厚・利位の補佐という立場から集められたものです。

ロシア漂流民大黒屋光太夫との関係や、ロシア使節レザノフの来航、間宮林蔵・近藤重蔵の北方探検、ペリー来航、大塩平八郎の乱とその召し捕り、渡辺崋山や蘭学者との交流なで、当時の重要事件に関連する資料も数多くあります。

鷹見泉石関係資料3153点は、国の重要文化財に指定されており、古河歴史博物館では、定期的に展示替えをして公開しています。



鷹見泉石記念館



鷹見泉石記念館


展示室2には、古河の歴史を概説しており、当時の城下町の街並みや古河城の姿も再現されています。

展示室3には、幕末から明治期にかけて活躍した古河ゆかりの文化人とその作品を展示しています。


鷹見泉石記念館



繍水草堂

「古河歴史博物館」から道路を挟んだ隣接地には、「鷹見泉石記念館」として、古河藩家老・鷹見泉石の最晩年の居宅が公開されています。

この建物は、古河城の余材で建てたと伝えられているもので、邸内には珍木「楓樹」や、古河城二の丸御殿にあったと伝えられる石灯籠などがあります。


「鷹見泉石記念館」の隣接地には、古河出身の明治時代を代表する南画家・奥原晴湖が晩年用いた画室「繍水草堂」があります。

「繍水草堂」は明治24年(1891年)に熊谷に建設されたものを、昭和4年に古河に移転、さらに歴史博物館敷地へ移築・復元したものです。


繍水草堂



繍水草堂のヒナ飾り


繍水草堂のヒナ飾り



古河文学館



古河文学館

「古河歴史博物館」に隣接して「古河文学館」があります。

「古河文学館」は、茨城県で初めての文学館として平成10年に開館しました。

古河ゆかりの文学者に関する展示室を中心とし、サロン室や講座室も設けられています。

サロンではコンサートや朗読会などが開催されています。

また、イタリア料理のレストランも併設されています。



お休み処・坂長


「古河文学館」から古河第一小学校沿いに北の方向に200mほど進んだ四叉路を右折して100mほど進んだ右手が「お休み処・坂長」です。

「お休み処・坂長」は、江戸時代初期から古河城下で営んでいた商家の建造物を、修復した施設です。

街中賑わいの創出、地域の活性化を図るとともに、市民の憩いの場、来街者の回遊拠点施設となるよう、工事を行い平成24年にオープンしました。


お休み処・坂長



お休み処・坂長

敷地内には店蔵(旧古河城文庫蔵)、袖蔵(旧古河城乾蔵)、文庫蔵、石蔵、中蔵、主屋があり、店蔵は江戸時代より両替商後に酒問屋を営んだ坂長の店部分で旧古河城の文庫蔵を移築したと伝えられています。

平成12年に国登録有形文化財に指定されています。



篆刻美術館


「お休み処・坂長」から北方向に200mほど進んだ交差点を左折すると江戸町通りとなります。江戸町通りを200mほど進んだ左手が「篆刻美術館」です。

篆刻(てんこく)とは、方寸(一寸四方)の石に篆書とよばれる書体で古代の漢詩などから言葉を刻んだ書道芸術です。

篆刻は7000年前にメソポタミアで発生した図書印章が起源とのことです。その制度が中国に伝わって漢字と融合し、秦漢時代には政治経済と結びつき、世界に希な印章制度が築かれました。その制度は奈良時代に日本にも導入され、現在に至るまで続いています。


篆刻美術館



篆刻美術館

14世紀頃、中国で印材として適当な石材の発見と、金石学の隆盛に伴い、芸術性を求めて工人に頼らず自ら刻石し始めたことで、印章から分岐して篆刻は誕生しました。

従来の姓名雅号に加え、論語を始めその他の漢詩などから、自己の心情を表す詩・石を選ぶことから始めます。青田石、寿山石、巴林石などの石に、「篆書」という書体の文字を刻し、朱色の印泥を付け、紙に押したものを鑑賞します。


書の一部として、文字と言葉に関する知識が必要で、美を意識できる感性を要求されることから、文人の最高の趣味として継承されてきた芸術です。

篆刻美術館は、日本で初めての篆刻専門の美術館として平成3年(1991年)に開館しました。

建物は、大正9年(1920年)に建てられた石蔵を改修した由緒あるものです。

平成10年に国登録有形文化財に指定されています。


篆刻美術館



古河街角美術館

篆刻美術館の道路を挟んだ隣りに、「古河街角美術館」があります。

「古河街角美術館」は、美術分野における市民創作活動の発表の場として、市民が日常気軽に利用し、また先人の優れた作品の鑑賞の場として利用し、人々に潤いをもたらそうと平成7年(1995年)に開館しました。

1階の展示室は常設展示コーナーで、2階の展示室は市民ギャラリーとして貸し出ししています。



永井路子旧宅


「古河街角美術館」から江戸町通りを100mほど進んだ左手が「永井路子旧宅」です。

平成15年(2003年)に、古河文学館の別館として開館しました。

歴史小説家の永井路子が幼少時代に過ごした旧居を一部復元し、元の場所に保存しています。


永井路子旧宅



永井路子旧宅

「永井路子旧宅」は江戸町通りに面していますが、江戸時代の江戸町は古河城下・古河宿で最も賑わった町通りとされ、大きな商家が軒を連ねていました。

永井家は江戸時代からの古い商家で、土蔵造り・2階建ての店蔵が残されており、自由に見学できます。



正定寺


「永井路子旧宅」から江戸通りを100mほど進んだ「歴史博物館入り口」の交差点から、更に30mほど進んだ右手が「正定寺」です。

「正定寺」は、江戸時代初期、家康・秀忠・家光の三代に仕えた古河城主土井利勝が、寛永10年(1633年)に開いた寺で、土井家歴代の菩提寺となりました。


正定寺



正定寺

土井家墓所は東京・浅草の誓願寺にありましたが、関東大震災の復興工事に伴って立ち退きが必要となり、昭和2年(1927年)に正定寺に移転・改葬しました。

平成2年(1990年)には、増上寺内の安蓮社にあった利勝の墓碑も移されています。


また、4代将軍家綱の母お楽の方の供養塔や芭蕉塚など歴史的文化財もあります。



渡良瀬川河岸



渡良瀬川河川敷のゴルフ場


「正定寺」から江戸通りに戻り、西方向に300mほど進んだ突き当たりの階段を登ると渡良瀬川の河岸に出ます。

河川敷のゴルフ場を左手に眺めながら上流に向かって300mほど進むと右手にゴルフ場のクラブハウスがあります。さらに上流に向かって100mほど進んだ右手のスロープを降りると「雀神社」です。


クラブハウス



雀神社



雀神社



雀神社

「雀神社」は、約1100年前に出雲大社から勧請したものといわれ、古河公方足利成氏はじめ歴代の古河城主が厚く崇拝し、五穀豊穣、家内安全を祈願してきました。

夏の祭礼には、現在でも「ささら獅子舞」が奉納されています。



古い街並み



古い街並み



古河の街並み


「雀神社」から南方向に300mほど進んだ四叉路を左折し、道なりに500mほど進んだ、日光街道の一つ手前の交差点を左折して100mほど進んだ右手が「地域交流センター(はなももプラザ)」です。


地域交流センター



地域交流センター

「地域交流センター(はなももプラザ)のすぐ先を右折して100mほど進むと「旧日光街道」です。

右折して「旧日光街道」を300mほどすすんだ「本町2丁目」の交差点を左折して200mほど進むとJR古河駅(ゴール)です。


       風来坊


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