権現堂堤の中央付近に、「順礼の碑」と「供養塔」が建っています。
享和2年(1802年)は、長雨が続き、幾度修理しても大雨が降り出すと一夜のうちに切れてしまうという状況でした。
ある時、堤奉行の指図で村人達は必死の改修工事をしていましたが、大被害と続く工事の疲れに、口をきく元気さえも失っていました。
その時、夕霞のかかってきた堤の上に母娘の順礼が通りかかりました。母順礼が堤の切れ口をのぞきこんで、「こうたびたび切れるのは、竜神のたたりかもしれない。人身御供を立てなければなるまい。」と言いました。そこで、堤奉行は「誰が人身御供に立つものはいないか。」と人々を見渡しましたが、誰も顔を見合わせるだけで、進んで私がなるとういう者はありません。
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