「七賢堂」は、元々は明治36年に伊藤博文が、明治維新の元勲のうちの岩倉具視・大久保利通・三条実美・木戸孝允の4人を祀った四賢堂を自身の邸宅「滄浪閣」に建てたものです。
伊藤博文の死後、婦人により伊藤博文を加えた5人が祀られ、「五賢堂」となりました。
昭和35年に吉田茂邸に移設され、昭和37年に吉田茂が西園寺公望を合祀し、吉田茂の死後、昭和43年に佐藤栄作の名によって吉田茂が合祀され、「七賢堂」となりました。
内門やサンルームとともに、焼失を免れ、旧吉田茂邸の歴史を感じさせる貴重な建築物です。
正面の扁額「七賢堂」の文字は、佐藤栄作元首相が書いたものです。
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