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湘南発祥の地・大磯を歩く その1 (H26.3.12)


妙大寺



大磯駅

JR東日本の「駅からハイキング」の「湘南発祥の地・大磯を歩く」に参加しました。

サブタイトルは「紺碧の海、四季折々に色を変える山々、一年中ハイキングが楽しめる大磯」です。

細部説明は「8人の首相が住んだ町、歴史と文化に思いを馳せるです。

コースの概要は次のとおりです。

JR大磯駅→大磯町観光協会(受付)→妙大寺→高田公園→旧島崎藤村邸→太平洋岸自転車道→六所神社→西長院→県立大磯城山公園→旧吉田茂邸→鴫立庵→新島襄の碑→地福寺→延台寺→大磯町観光協会→大磯駅


妙大寺



松本順の墓碑

コースの歩行距離は約11km、歩行時間は約3時間20分(施設での見学時間を除く)、所要時間約4時間(施設での見学時間等を含む)です。

県立大磯城山公園や旧吉田茂邸をゆっくり散策したこともあり、所要時間4時間30分、約2万歩でした。



高田公園に向かう散策路から


JR大磯駅の左方向30mほどに「大磯町観光協会」があります。

受付を済ませて大磯駅に戻り、そのままJR東海道線沿いに100mほど進んだところにあるガードを潜り、100mほど進んだ右手が妙大寺です。

妙大寺は、明治18年(1885年)に大磯に日本最初の海水浴場を開設し、寂れていた大磯を別荘地帯として新しく生まれ変わらせた、大磯の恩人ともいえる松本順の墓所があることで知られています。


高田公園


松本順は、新撰組の近藤勇と交流があり、新撰組に病人が多いことに驚き、新撰組の治療にあった時期があり、会津、庄内、仙台にも同行したようです。

このことから戦後一時投獄されましたが、明治4年(1871年)に大磯に別荘を構えた山県有朋の要請により、軍医頭に復帰したとのことです。
松本順が大磯に別荘を構えたのは1886年頃といわれています。大磯で死去した松本順は、最初は鴫立庵に埋葬されましたが、昭和29年(1954年)に遺骨を妙大寺に改葬したとのことです。


妙大寺からさらに100mほど進むと「湘南平」の案内板があります。
この案内板に従って急坂を10分ほど上ったところが「高田公園」です。
「高田公園」は相模湾を一望でき、湘南平へと続く坂田山の一角にあります。

公園の一角に高田保の墓碑があります。

高田保は茨城県土浦の出身で、大磯には昭和18年から住み始めました。

昭和24年から、島崎藤村邸(町屋園)に住みましたが、昭和27年57歳で逝去しました。大磯町の社会教育に尽力したとのことです。


地下道出口 この左手の路地を入ると旧島崎藤村邸



旧島崎藤村邸



旧島崎藤村邸



旧島崎藤村邸

「高田公園」から急坂を下り、「湘南平」の案内板の場所を右折し、200mほど進んだ三叉路を左折して、さらに200mほど進むとJR東海道線の地下道があります。

地下道をくぐり抜けたら右折し、すぐ傍の細い路地を50mほど進むと「旧島崎藤村邸」です。大磯駅から東海道線沿いに徒歩5分の場所です。


町屋園と呼ばれた藤村の旧宅は、三間の平屋建ての民家で外壁には杉の皮、引き戸には大正ガラスが使われています。

小さい素朴な冠木門に割竹垣に囲まれた小庭。
カナメやモチの若葉、朝顔や萩、湯河原から取り寄せた寒椿が花を咲かせる小庭の眺めは藤村の心の慰めで、この家を「靜の草屋」と呼んでいました。

また簡素を信条とする藤村の気配りが現在でも感じられます。


旧島崎藤村邸



旧島崎藤村邸

島崎藤村は、昭和18年(1943年)8月22日にこの町屋園で永眠しました。

その後、静子夫人が住んでいましたが、終戦間際の切迫した状況により箱根に疎開しました。

町屋園が空き家になることから、昭和24年から高田保が住み、著作「プラリひょうたん」の大部分がここで書かれています。

昭和27年高田保が没した後は、静子夫人が昭和48年になくなるまで居住しています。



太平洋岸自転車道


旧島崎藤村邸から地下道入り口に戻り、左折して200mほど進むと「大磯中学校前」の交差点で、左右の道路が箱根駅伝の行われる東海道です。

東海道を横切って200mほど進むと「太平洋岸自転車道」です。

「太平洋岸自転車道」は、大規模自転車道整備事業の目玉の一つとして構想された自転車道です。


太平洋岸自転車道



東海道

大磯町の太平洋岸自動車道は、西湘バイパスに沿って設けられており、東の花水川から西は不動川下流付近までつながっているようです。

西湘バイパス沿いの自転車道は海を眺めながら散策でき気分爽快ですが、右手に松林、左手に西湘バイアスと海という光景が真っ直ぐどこまでも続いています。

自転車で走行するには良いでしょうが、歩くと単純な光景が続きすぎるという感じです。


太平洋岸自転車道を2kmほど進むと不動川で、ここで自転車道は湘南海岸を離れ、大きく右に旋回します。

散策路の右側が県立大磯城山公園旧吉田邸地区ですが、入り口は反対側です。

道なりに300mほど進むと東海道です。

左折して東海道に沿って1km余り進むと「六所神社入り口」の交差点です。

右折して300mほど進むと「六所神社」です。


六所神社入り口



六所神社



六所神社

崇神天皇の時代、出雲国より移住しこの地を開墾した人々は、この地を柳田郷と名付け、出雲の祖神である櫛稲田姫命・須佐之男命・大己貴尊を祀って柳田大明神と称して、現在地より北西1kmの石上台(伊勢神台)に社殿を築きました。創建は600年頃と伝えられています。


養老2年(718年)元正天皇より国司に対して、勅を以って当社を相模国の神祇の中心として総社に定めるという宣下がなされ、同年現在地に遷座しました。

その時より、一之宮寒川神社 ( 寒川 ) 、二之宮川勾神社 ( 二宮 ) 、三之宮比々多神社 ( 伊勢原 ) 、四之宮前鳥神社 ( 平塚 ) 、平塚八幡宮 ( 平塚 ) の分霊を合わせ祀りました。相模国六社の総社で、六社の神を祀ることから六所神社と称されるようになりました。


六所神社



東海道

鎌倉時代には源頼朝より、戦国時代には小田原北条家より、江戸時代には徳川家康より篤い崇敬を受けました。

本殿は小田原北條家が造営したもので、造営当時は全体が朱色に塗られていました。相模国内の神社の本殿では大変大型で、相模の神々のための五つの御扉が特徴です。

広い境内には梅も咲いていました。



旧東海道 東海道は杉並木の右側


六所神社から東海道に戻り、先ほど来た道を500mほど戻ると、杉並木を真ん中にして東海道と旧東海道とに分かれます。

左側の旧東海道を500mほど進むと、不動川に架かる橋があり、橋から50mほど進んだ路地を右手に入り、丁字路を左に30mほど進むと「西長院」です。

梅:思いのまま


「西長院」には、「切通しの身代わり地蔵さん」が祀られています。

身の丈1.5mの石造りの鎌倉時代の地蔵菩薩立像で、はじめは切り通しの岩窟の中に祀られていましが、昭和11年に東海道が拡幅された際に、「西長院」に移されました。

身代わりに関するいろいろな霊験のあることから、人々は「身代わり地蔵」と称して1689年にお堂を建立して、尊像安置の霊場としました。

危機厄難滅除のため、特に戦時中は多くの参拝者で賑わいました。今日でも、交通事故や旅行中における不慮の事故から身を守るため参拝する人が訪れています。



「西長院」から100mほど進んだ左手が「県立大磯城山公園」です。

「県立大磯城山公園」の土地からは、縄文土器や横穴墓、鎌倉古道などの文化遺産が発掘され、さらに室町時代になると小磯城が築かれました。

小磯城のあったことからこの山を城山と呼ぶようになり、1477年には、この城に立てこもる長尾景春の被官・越後五郎四郎を太田道灌が破ったという記録も残されています。


大磯城山公園



大磯城山公園



大磯城山公園・展望台

明治時代に入ると、この地に三井財閥が別荘を構えるようになり、以後庭園として整備されました。敷地内には古寺社などの古材を用いてつくられた「城山荘」や、織田信長の実弟で、茶人として高名な織田有楽斎が建てた国宝の茶室「如庵」などがありました。

財閥解体後、三井家の手を離れ長きに渡り放置されていましたが、その後、三井別荘跡地の再利用案として公園化計画が持ち上がり、再整備され平成2年に開園されました。



大磯城山公園展望台からの光景


展望台からは、箱根連山や富士山が目の前にそびえ、伊豆半島と紺碧の相模湾を一望することができます。

関東の富士見百景スポットにも選ばれている絶景スポットです。

茶室「城山庵」は、三井家の草庵式茶室として置かれていた国宝「如庵」にちなんで建てられました。「如庵」は、数度にわたり移築され、現在は犬山城下御門先の有楽苑にあります。


大磯城山公園・小陶綾ノ滝



大磯城山公園・茶室「城山庵」



大磯城山公園・茶室「城山庵」



大磯城山公園・茶室「城山庵」


関連のホームページ


 大磯観光情報「イソタビ」




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         風来坊


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