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横浜のイチョウ並木 (H23.11.27)

日本大通りのイチョウ並木


神奈川県庁「キングの塔」



神奈川県庁「キングの塔」

横浜のイチョウ並木を訪ねました。

イチョウは横浜の「市民の木」として制定されていることもあり、横浜市ではあちこちで銀杏並木を見ることができますが、今回は「日本大通り」と「山下公園通り」を訪ねました。



神奈川県庁


「日本大通り」は、横浜公園北側の「横浜公園」交差点から、横浜開港資料館横の「開港資料館前」交差点まで延びる通りです。

距離としては400mほどしかありませんが、道幅は広く、歩道も広く取られています。


神奈川県庁「キングの塔」



日本大通りのイチョウ並木



日本大通りのイチョウ並木

この道路の生い立ちは明治維新の時代に遡ります。

慶応2年(1866年)に「豚屋火事」と呼ばれる火災が発生しました。

この火災は折からの強風に煽られて関内地区のほとんどを焼き尽くしたとのことです。

この火災からの復興の際、幕府と諸外国との間で近代的都市計画に基づいた整備事業が取り決められました。


ちょうど明治維新を迎え、復興事業は幕府から明治政府に引き継がれ、事業の指揮は英国人土木技師ブラントンが担いました。

横浜公園もこの復興事業によって造られた公園ですが、横浜公園から海岸に向けて幅120フィートの道路を建設することが事業に盛り込まれました。

幅の広い道路の建設は、防火帯を兼ねる目的もあったようです。


日本大通りのイチョウ並木



日本大通りのイチョウ並木



日本大通りのイチョウ並木

完成した道路は、幅60フィートの車道と両脇に30フィートの歩道が設けられており、近代的道路としては日本で始めてのものだったようです。

「日本大通り」という道路名も、日本初の近代道路と関連がありそうです。

復興事業では、幅60フィートの道路が同時に整備されており、現在の馬車道や海岸通りなどが該当します。


日本大通りの両端である「横浜公園」交差点と「開港資料館前」交差点はいずれも丁字路になっており、日本大通りは幹線道路のルートの一部としては機能していません。

このため車の通行量もあまり多くありません。

日本大通りのイチョウ並木



日本大通りのイチョウ並木



日本大通りのイチョウ並木

「開港資料館前」交差点は、近年海岸部に整備された象の鼻パークのメインエントランスに当たっています。

このため、現在の日本大通りは横浜公園と象の鼻パークとを繋ぐプロムナードとしての役割も担っているかもしれません。


この日本大通りの歩道部分にイチョウが並木として植えられています。

このイチョウ並木が晩秋には黄金に染まって美しい景観を見せてくれます。

イチョウの黄葉そのものも美しいですが、沿道に建つ建物との取り合わせも横浜的風情を漂わせています。

なかでも、銀杏並木の傍に聳えている神奈川県庁の「キングの塔」は風情のある光景です。


日本大通りのイチョウ並木


山下公園通りのイチョウ並木


山下公園通りのイチョウ並木



山下公園通りのイチョウ並木



山下公園通りのイチョウ並木

日本大通りと丁字路になっている海岸通りを「横浜開港資料館」の横を50mほど進むと「山下公園通り」のイチョウ並木です。

「山下公園通り」は横浜開港資料館の近くの「開港広場前」交差点から「山下橋」交差点まで、その名前の通り山下公園の沿って伸びている通りです。



山下公園通りのイチョウ並木


「山下公園通り」の海側は山下公園ですが、反対側にはマリンタワーがあり、横浜中華街もそぐ傍で、観光横浜の賑わいを見せる通りです。

この山下公園通りには約200本のイチョウが植えられおり、イチョウ並木の道は「日本の道100選」に選ばれています。


山下公園通りのイチョウ並木



山下公園通りのイチョウ並木



山下公園通りのイチョウ並木



山下公園通りのイチョウ並木

山下公園は横浜の観光の中心的な存在です。

大桟橋入口から山下埠頭までの海岸に沿って長さ約800m、幅約50mの公園で、中華街、元町、山手などの横浜の有名な観光スポットにも近く、まさに横浜の観光の拠点ともいえる公園です。


山下公園は関東大震災の復興事業のひとつとして、瓦礫を埋め立てて造成された公園です。

大正12年(1923年)9月1日に起きた関東大震災は、横浜市街や横浜港にも壊滅的な損害をもたらしましたが、大正14年(1925年)に横浜市長に就任した有吉忠一によって復興事業が進められ、道路の整備、河川運河の整備、橋梁の整備、学校・病院の新設・改築と並んで、公園事業も急務とされ、神奈川公園、野毛山公園、横浜公園、山下公園の4公園がこの時整備されました。


山下公園通りのイチョウ並木



ボーリン橋からの山下公園通りのイチョウ並木



ボーリン橋からの山下公園通りのイチョウ並木



ボーリン橋からの山下公園通りのイチョウ並木

震災被害の瓦礫や焼土を埋め立てて造成された山下公園は、日本で最初の臨海公園として昭和5年(1930年)に開園しました。

第2次世界大戦後はアメリカ軍によって接収されましたが、徐々に返還され、昭和36年(1961年)には再整備が完了し、ほぼ現在の姿となっています。


山下公園通りの山下橋側の一番端に、山下公園と「横浜人形の家」経由「港の見える丘公園」を結ぶ歩行者専用の「ボーリン橋」が架かっています。

この橋の上から見る並木の景観は素晴らしいものがあります。


ボーリン橋



青い目の人形

真っ直ぐに伸びるイチョウ並木の向こう側にはみなとみらい地区の高層ビル群が見え隠れしています。

左手の黄葉の枝の上方にはマリンタワーが聳えています。

また、ボーリン橋には傍らのイチョウが覆い被さるようにすぐ近くまで迫っています。



マリンタワー


マリンタワー



山下公園からみなとみらいの展望


大通公園のイチョウ並木と山下公園通りのイチョウ並木は見頃の時期が少し異なるとのことでしたが、今年は2つのイチョウ並木がほぼ同時期に見頃を迎えたようです。

例年は、横浜山手西洋館の「世界もクリスマス」を見る時期に、山下公園通りのイチョウ並木を訪れますが、いつも見頃を過ぎていました。

今年は11月下旬に訪ねましたので、見頃のイチョウに出合うことができました。


         風来坊


山下公園からのマリンタワー


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