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猿橋の紅葉 (H23.11.25)


猿橋



猿橋



猿橋

「猿橋」は山梨県大月市猿橋町猿橋にある桂川(相模川)に架かる橋です。

江戸時代には「日本三奇矯」の一つとしても知られ、甲州街道の架かる重要な橋でした。

現在では現存する唯一の刎橋です。

橋長30.9m、幅員3.3m、橋高水面まで30mです。


猿橋は桂川の両岸が崖となってそそりたち、川幅が狭まり岸が高くなっている地点に架けられています。

川幅が狭ければ橋脚を河原に下ろさずに済み、橋が高い場所にあれば水位が高くなっても川の水に接することはありません。

このような地点に架橋できれば、洪水の影響を受けずに済むわけです。


猿橋



猿橋傍の紅葉



猿橋

しかしながら、そのためには橋脚なしで橋を渡す技術が必要です。

こうした条件では吊り橋が用いられるのが常ですが、江戸時代の日本にはもう一つ刎橋という形式が存在していました。


刎橋では、岸の岩盤に穴を開けて刎ね木を斜めに差込み、中空に突き出させます。

その上に同様の刎ね木を突き出し、下の刎ね木に支えさせます。

支えを受けた分、上の刎ね木は下のものより少しだけ長く出します。

これを何本も重ねて、中空に向けて遠く刎ねだしていきます。

これを足場に上部構造を組み上げ、板を敷いて橋にします。

猿橋では、斜めに出た刎ね木や横の柱の上に屋根を付けて雨による腐食から保護しています。


猿橋



猿橋傍の紅葉



猿橋傍の紅葉

この様な構造の橋は猿橋のみではありませんでしたが、江戸時代には猿橋が最も有名で、日本三奇橋の一つとされました。

甲州街道沿いの要地(宿場)にあるため往来が多く、歌川広重は天保12年(1641年)に甲斐を訪れた際にスケッチを行い、後に大型錦絵「甲陽猿橋図」を手がけています。

また荻生徂徠など多くの文人が訪れ紀行文や詩句を作成しており、明治期には富岡鉄斎が「甲斐猿橋図」(大木コレクション)を描いています。



上流の新猿橋(県道505号)


昭和7年(1932年)に国の名勝に指定されました。

昭和9年(1934年)に上流に新猿橋が造られ、国道(当時は国道8号、現在は山梨県道505号)はそちらを通るようになりました。

昭和48年(1973年)には別の新猿橋が下流に造られ、国道20号が通るようになりました。2つの新猿橋は現在も使用されています。


新猿橋から



猿橋公園付近の紅葉



前方は岩殿山(岩殿城跡)

猿橋は紅葉の名所としても知られています。

大月駅前の岩殿山を散策した後、紅葉が見頃ではないかと猿橋を訪ねました。

猿橋はJR中央線の大月駅から徒歩20分程度ですが、駅から15分程度のところに猿橋公園があり、この公園を経由して猿橋に出ることができます。



猿橋公園から新猿橋を望む


猿橋公園から猿橋に向かう散策路からは、川沿いの紅葉とともに岩殿山を望むことができました。

猿橋公園から猿橋に向かう途中にある猿橋展望台は、今回は通行止めで行くことができませんでした。


猿橋入口



猿橋から下流の展望 手前が八ツ沢発電所一号水路橋 赤い橋が新猿橋(国道20号線)



八ツ沢発電所一号水路橋



八ツ沢発電所一号水路橋

紅葉は猿橋の周囲のみでなく、国道20号線にかかる新猿橋からの展望もなかなかのものでした。

また、猿橋のすぐ下流側に「八ツ沢発電所一号水路橋」があります。

延長63.63m、幅5.45mで構造は鉄筋コンクリートです。

水路橋の両側の水門には駒橋の発電施設と同様に赤れんがが使用されています。



新猿橋(国道20号)



新猿橋から猿橋を望む


明治45年、上野原町八ツ沢に発電所建設が計画され、その中で、駒橋発電所で使用した水を有効に利用し、桂川左岸の支流の水を合流させるため、桂川を横断するかたちで水路が架けられました。

現在、桂川本流に沿って8個所の発電所が稼働していますが、これらは使用した水を下流の発電所にリレー形式で送る形で結ばれています。

この形態の第一歩がこの八ツ沢発電所への水路工事です。


新猿橋から上流の展望



新猿橋から下流の展望



新猿橋から下流の展望


関連するホームページ

 大月市観光協会

アクセス

 JR大月駅から徒歩20分



       風来坊


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