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身延山久遠寺
身延山門前町
身延山久遠寺は鎌倉時代に日蓮によって開かれたお寺です。 日蓮宗の総本山として、門徒の無二の帰依処として知られています。 身延山は、今から約700年前に、日蓮がその晩年を過ごされた霊山です。 かつて身延山は甲斐の国の波木井の郷内にあり、領主の南部実長の領地でした。
佐渡の流刑を終えて鎌倉に戻った日蓮は、疫病や天災が相次ぐ末法の世にあって、「法華経」をもってすべての人々を救おうとして、3度にわたって幕府に進言しましたが受け入れられませんでした。 「3度幕府をいさめた後、一代を締めくくるため、日蓮は山林に身を隠せよ」との故事により、信者であった南部実長の招きに応じて、文永11年(1274年)5月17日に身延山に入山しました。
石段を登ると三門です
同年6月17日に鷹取山のふもとの西谷に構えた草庵を住処としました。 以来、見延山を生涯の住処とし、足かけ9年にわたり法華経の読誦と門弟たちの教導に終始しました。 弘安4年(1281年)に18m四方の堂宇が完成し、日蓮はこれを「身延山久遠寺」と命名しました。
三門
翌年の弘安5年(1282年)、日蓮は病身の湯治療養と、両親の墓参のため山を下りて常陸の国に向かいました。 しかしその途中、武蔵の国池上(現在の東京都大田区池上)において61歳の生涯を閉じました。
三門から菩提梯への杉並木
そして、「いずくにて死に候とも墓をば身延の沢にせさせ候べく候」という日蓮の遺言のとおり、その遺骨は身延山に祀られました。 その後、身延山久遠寺は日蓮の本弟子である六老僧の一人、日向上人とその門流によって継承され、約200年後の文明7年(1475年)、第11世日朝上人により、狭く湿気の多い西谷から現在の地へと移転し、伽藍の整備が進められました。
南部実長の銅像と男坂
その後、武田氏や徳川家の崇拝、外護を受けて栄え、宝永3年(1706年)には、皇室勅願所にもなっています。 日蓮の入滅より700有余年、その間、落雷・火災と2度にわたる焼失を経てもなお、法灯は連綿と耐えることなく、総本山として門下の厚い信仰を集め、年間を通じて全国各地から参拝者や観光客が訪れる、心の聖地となっています。
南部実長の銅像
女坂の登り口
身延山久遠寺は、総門を始めとして、三門、本堂、祖師堂、御真骨堂などの数多くのお堂、さらにはお寺や坊が自然と融け合うように巧みに配されています。 また、海抜1153mの見延山山頂は、日蓮が登って故郷の両親を追慕された地であり、奥の院思親閣が建てられています。
女坂 前方の階段が菩提梯
また、鷹取山のふもとには日蓮が9年間住んだ御草庵跡、墓所である御廟所があります。 身延山の西側には海抜1989mの七面山があります。 七面山頂上からの展望は素晴らしく、霊峰富士と対峙し、御来光の遙拝地となっています。
女坂は勾配が緩やかです
急勾配の菩提梯
途中から下方を見ても下側の石段が見えません
このように見所の多い身延山には「気軽に久遠寺・思親閣参拝コース」「気軽に身延山参拝コースその1」「気軽に身延山参拝コースその2」「身延山参拝フルコース」「七面山参拝コース」などいくつかの参拝コースが紹介されています。 今回は「気軽に久遠寺・思親閣参拝コース」の「三門、久遠寺、思親閣、御廟所、御草庵を参拝する」を参考に次のコースで廻りました。 バス停(身延山)〜三門〜菩提梯〜身延山久遠寺〜久遠寺内拝観〜ロープウェイ〜奥の院恩親閣〜ロープウェイ〜久遠寺内拝観〜女坂〜三門〜バス停(身延山)
最上部から下方を望む
本堂
総門 国道52号線に面した身延山の玄関で、参詣者が最初にくぐる門です。 日蓮が入山の時に出迎えの南部実長と対面した「逢島」の遺跡に、寛文5年(1665年)に建立されました。 入って左手の石垣には、日蓮が入山の時に休息されたという自然石が残されています。
久遠寺の枝垂れ桜
祖師堂
今回は身延駅から身延山(バス停)までバスで移動しましたので、バスに乗車したまま総門をくぐりました。 身延山のバス停から門前町商店街を通り抜けると三門です。 三門 本堂の真正面に位置し、空・無相・無願の三解脱門を経て涅槃に至る仏教の摂理に基づき、本堂を涅槃に擬し、その正面の門を三解脱門に例え三門と称しています。
日本三大三門の一つに数えられる身延山の三門は、間口23m、奥行き9m、高さ21mの総けやき造りです。楼上には、16体の羅漢像が奉安されています。 1642年の創建ですが、数度の火災で焼失し、数度の火災で焼失し、現在の三門は明治40年(1907年)に再建されたものです。
報恩閣
久遠寺境内
三門をくぐって杉並木を真っ直ぐ進むと菩提梯です。 菩提梯は三門と本堂を真一文字に結ぶ287段の石段からなる参道です。 高さ104m、天井に続くかのような急勾配の石段は、南無妙法蓮華経になぞらえて7区分されています。 また、両側にそびえる老杉は仏法僧の繁殖地に指定されています。
菩提梯の上り口の右側にあるのが、日蓮をこの地に招いた南部実長の銅像です。 銅像の傍らから男坂、女坂の2つの参道も境内に続いています。 菩薩梯の傍に次の掲示がありました。 「後参拝ご苦労様で御座居ます。ご年配の方、心臓の弱い方、体調の勝れぬ方は右手の女坂か男坂ご利用下さい。この菩薩梯は非常に急坂となっておりますのでご注意願います。」
拝殿
五重塔
菩提梯を登った正面にあるのが本堂です。 明治8年(1875年)の大火災以来、本堂の再建は身延山の悲願でした。 昭和60年(1985年)日蓮聖人第700遺忌の主要事業として、昭和60年(1985年)に再建されたものです。 本堂は間口32m、奥行51m、総坪数970坪で、一度に2500人の法要を奉行できるとのことです。
菩提梯は、高さ104mを287段の石段で登るのですから、平均すると一つの石段の高さが36センチ余りとなります。 足をしっかり上げないと登れない高さの石段ですから、急勾配のはずです。 この石段を一気の登ることは困難ですが、幸い石段が7つに区分されており、区分されている場所が平地となっています。 この平地で休みながら登りました。
開基堂
鐘楼
本堂の右にあるのが、日蓮が奉られている祖師堂です。 日蓮の「今生より未来際までも心は見延山に棲むべく候」との言葉から、祖師の神霊の棲む御堂として棲神閣とも呼ばれています。 中央厨子内に祖師の尊像、その左右に祖師の両親の霊碑と直弟子六老僧の像が奉られています。
仏殿
仏殿と枝垂れ桜
祖師堂の右手が報恩閣で、その右側にあるのが御真骨堂と拝殿です。 拝殿の奥に望む土蔵造りの八角堂が日蓮の御真骨を奉安する御真骨堂です。 御真骨堂の中央には精緻を極め善美を尽くした五重塔があり、その中央の水晶の宝龕(ほうがん)中に日蓮の御真骨が納められているとのことです。 御真骨堂は拝殿の背後にあるため、前面からは見ることができませんでした。
大奥水鳴楼
客殿
拝殿の前方にあるのが開基堂です。 日蓮を身延山に招いた南部実長を祀っています。 身延町指定文化財です。
かつて身延山には、法華経信仰の象徴として五重塔が輝いていました。 万延元年(1860年)に再建された五重塔が、明治8年(1875年)の大火で焼失した後、五重塔の再建は長年にわたる悲願となっていました。 2009年5月、伝統的工法と現代技術の粋を結集し、元和5年(1619年)見延山に初めて建立された五重塔を復元しました。
法喜堂
甘露門
時鐘
枝垂れ桜 古くから信仰の町として栄えてきた身延には、樹齢数百年を超える銘木が随所に点在しています。 なかでも久遠寺境内の祖師堂前と信徒休憩所前にある2本の枝垂れ桜は、樹齢400年の巨木です。 全国しだれ桜10選の一つです。
斜行エレベーター 2009年、五重塔の付帯事業の一つとして完成しました。 西谷せいしん駐車場から境内へと階段を使わずに登ることができます。
斜行エレベーター
身延山その2へ 風来坊