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芝・愛宕山散策 その2 (H23.9.11〜9.14)


東京タワー



東日本大震災で先端が曲がった東京タワー

芝公園は広大なため、東京タワーは芝公園のすぐ隣です。

東京タワーは昭和33年に完成した東京地区の集約電波塔で、正式名称は日本電波塔です。

地上アナログ・デジタルテレビジョン放送(VHF・UHF)及びFM放送のアンテナとして電波を放出しています。

なた、JR東日本の防護無線用アンテナとして緊急信号を発信するほか、東京都環境局の各種測定器なども設置されています。



東京タワーからの展望



東京タワーからの展望


東京タワーの建設前までは、放送事業者は個々に高さ150m〜165mの電波塔を建設して自局の塔から放送を行っていました。

しかしこの高さだと放送電波は半径70Km程度しか届かず、銚子や水戸では満足に電波を受信することができませんでした。


また、受信アンテナには指向性があるため、チャンネルを変える毎にアンテナの向きを変えなければならないという不便がありました。


東京タワー


東京タワー



こうした背景から放送事業の将来性に着目した前田久吉と鹿内信隆によって東京タワーの建設が進められました。


建設地は安定した電波を供給するために巨大な電波塔の建設可能な広さと強固な地盤を有していること、魅力ある展望台のために工場などの煙が景観を妨げないことなどの厳しい条件が求められ、当初は上野公園付近への建設も検討されたが、より立地条件の良い芝公園地区が選定されました。



ルックダウンウインドウから



東京スカイツリー


東京タワーには大展望台と特別展望台の2つの展望台があります。

大展望台は地上150mと地上145の2層になっており、エレベーターに乗って最初に到着するのは大展望台の2階です。

大展望台からは、東京はもちろん関東一円の景色を展望することができます。売店やカフェもあります。


ルックダウンウインドウから


東京スカイツリー



地上250mの大展望台へはここから別のエレベーターに乗ることになります。


大展望台の1階には「ルックダウンウインドウ」があり、脚下を眺めることができます。

高所恐怖症の方は覗くことができないようです。



東京タワーからの展望



東京タワーからの展望



青松寺

東京タワーから東京プリンスの方に進み「東京タワー前の信号」を左折して道なりに進み、「芝公園三丁目の信号」を左折して、300m程進んだ左手が「青松寺」です。

青松寺は、江戸府内の曹洞宗の寺院を統括した江戸三箇寺の1つで、太田道灌が雲岡舜徳を招聘して文明8年(1476年)に創建しました。


当初は、麹町貝塚(現在の国立劇場・最高裁判所付近)にあり、「江戸貝塚青松寺」と称されました。

その後、慶長5年(1600年)、徳川家康が江戸城の外堀をつくる際に、現在の地へ移転しました。


青松寺



愛宕トンネル

寺中に「獅子窟」僧堂を擁し幾多の人材を輩出してきました。

明治8年(1875年)、獅子窟学寮内に曹洞宗専門学本校が開校、翌年、駒込吉祥寺の旃檀林と合併、今日の駒澤大学へと発展しました。


青松寺から100m程先の「愛宕神社前」の信号を左折して50m程進むと愛宕トンネルです。

愛宕トンネルの左手前に「愛宕山エレベーター」があり、このエレベーターで上ったところが「NHK放送博物館」です。


愛宕山エレベーター



NHK放送博物館

「NHK放送博物館」は、昭和31年(1956年)に、世界最初の放送専門のミュージアムとして、放送のふるさと・愛宕山に開館しました。

日本の放送が始まって80余年を経過し、放送はラジオからテレビ、さらに衛星放送、ハイビジョン、デジタル放送へと大きく進歩、発展してきています。



12インチスピーカー

(大正14年)


ダブルボタンマイクロホン(大正14年)
放送第一声はこのマイクから


NHK放送博物館では、こうした放送の歴史に関するさまざまな実物展示をはじめ、誰もが自由に利用できる「番組公開ライブラリー」や「図書・資料ライブラリー」なども公開しています。


八木アンテナ



さぐり式鉱石ラジオ

電池式単球ラジオ



各種ラジオ

1階展示フロアでは、ラジオやテレビ放送の誕生を物語る発明や技術が体験できるコーナーで、当時の放送の様子を実感することができます。

2階展示フロアでは、ラジオ放送の誕生から、今日のデジタル放送時代に至る放送の歴史を、さまざまな放送機材や受信機・受像機の実物資料による体系的な展示で紹介しています。



天皇陛下が玉音放送をお聞きになったラジオ


昭和天皇の「終戦の詔書」を録音した円盤


3階展示フロアでは、放送の歴史を物語るさまざまな資料を通して、放送開始当時の様子や、報道・スポーツ・教育・教養・娯楽番組のあゆみを振り返って見ることができます。


自動制御時計



クロノメーター


クロノグラフ



テレビ撮影カメラ



大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」の衣装



大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」の衣装

4階展示フロアは、放送のライブラリー、紅白・大河ドラマコーナーです。

NHKが蓄積している放送に関する映像、資料、調査データなどの情報を公開しています。


放送のライブラリーには、NHKが放送してきた番組が検索で視聴できるテレビ閲覧コーナーと、博物館の図書資料や放送史関係の資料が閲覧できる閲覧室があります。

紅白・大河ドラマコーナーには、紅白歌合戦と大河ドラマで実際に使われた衣装や小道具、台本など普段見られない資料を展示しています。

今年は「江〜姫たちの戦国〜」で使用された着物が展示されていました。


 若乃花と佐田の山の化粧まわし



愛宕神社



愛宕神社

NHK放送博物館の隣に「愛宕神社」があります。

愛宕神社は慶長8年(1603年)、徳川家康の命により江戸の防火の神様として祀られました。

主祭神は火産霊命(ほむすびのみこと)です。

ほかに、罔象女命(水の神)、大山祇命(山の神)、日本武尊(武徳の神)を正面社殿に祀っています。


境内には末社として、太郎坊社、福寿稲荷社、大黒天社、弁天社があります。

現在の本殿、幣殿、拝殿などは、昭和33年(1958年)に再建されたものです。


愛宕神社



愛宕神社


愛宕神社



愛宕神社



愛宕神社

愛宕神社は、標高26mの愛宕山の山頂にあります。

これ東京23区内での自然の地形としては一番高い山です。

春は桜、夏は鬱蒼と茂る樹木の涼と蝉時雨、秋は月と紅葉、冬は雪景色と四季折々の表情で、訪れる人の目を楽しませています。

都心の中にぽつりと残ったオアシス的な存在として人々の安らぎの場となっており、境内はお昼休み時は近隣で働く人々で賑わいます。



愛宕神社参道


愛宕神社の正面にあるのが、曲垣平九郎の故事にちなみ「出世の石段」と呼ばれる急な石段です。

3代将軍徳川家光が増上寺に参詣した帰りに愛宕神社の下を通りかかったところ、愛宕山には源平の梅が咲き誇っていました。

家光が「誰か、馬にてあの梅を取ってまいれ」と命じましたが、石段が急勾配のため家臣は一様に下を向いてしまいました。


出世の石段(男坂)



出世の石段(男坂)

この時、丸亀藩の家臣・曲垣平九郎が馬で石段を上り下りして、山上の梅を手折りして、家光に献上しました。

平九郎は家光から「日本一の馬術の名人」と讃えられ、その名は一日にして全国に届いたと伝えられています。

この故事にちなみ、愛宕山の正面の坂(男坂)を「出世の石段」と呼んでいます。


正面に向かって右側の階段が「女坂」です。

階段の上には老舗の中華料理屋があります。


女坂



桜田烈士愛宕山遺跡碑

愛宕山の境内に「桜田烈士愛宕山遺跡碑」があります。

井伊直弼を討った水戸浪士集結の場所です。

万延元年(1860年)3月3日、時の大老、井伊直弼を水戸浪士が討った桜田門外の変は有名ですが、その水戸浪士が集結したのは、この愛宕神社だったのです。


浪士たちは神社内の絵馬堂(現存せず)に集結し、神前に祈願したのち、歩いて桜田門に向かったのです。

家康公が建てられた愛宕神社に祈願したわけですから、浪士たちにとって井伊大老を討つということは、幕府のためだという確固たる信念があったのかもしれません。

雪の降る日、愛宕山上に集結する浪士の絵を愛宕神社で見ることができます。


愛宕神社




浅野内匠頭終焉の地 新橋4丁目交差点 右は日比谷通り



浅野内匠頭終焉の地

愛宕神社から左手に進み最初の「愛宕一丁目の信号」を右折して300m程進んだ大きな交差点が「新橋四丁目」の交差点です。

この交差点を渡った左側が「浅野内匠頭終焉の地」です。

本来ですと、石碑が建っていますが、環状2号線の工事に伴い一時撤去されていました。


「新橋四丁目」の交差点を新橋方向に50m程進んだ交差点を左右に走っている通りが「赤レンガ通り」です。

交差点を左折して「赤レンガ通り」に入り、次の路地を右に進んだ右手が新正堂です。

大正元年創業の和菓子店です。


赤レンガ通り



新正堂

この和菓子店の名物は「切腹最中」です。

これは、新正堂が「忠臣蔵」の起こりとなった浅野内匠頭が切腹された田村屋敷跡にあり、「忠臣蔵」にまつわる数々の語りぐさがこの菓子を通じて、皆様の口の端にのぼればという思いを込めた商品とのことです。

たっぷりあんは、結晶の大きな純度の高い砂糖を使用し、求肥入りの、甘さをおさえたさっぱりした味です。


このほかに「仮名手本忠臣蔵 味こよみ」「出世の石段」「義士ようかん」「戦国姫ようかん」など幕末関連のお菓子が並んでいます。

最近は「景気上昇最中」も人気とのことです。

新正堂から5分ほどで新橋駅です。




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      風来坊


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