大門から200m程進んだところが、増上寺です。
増上寺は浄土宗の七大本山の一つで、三縁山広度院増上寺が正式の呼称です。
増上寺は、明徳4年(1393年)に浄土宗第八祖酉誉聖聰上人によって、武蔵国豊島郷貝塚(現在の千代田区平河町から麹町にかけての土地)に開かれました。
室町時代の開山から戦国時代にかけて、増上寺は浄土宗の東国の要として発展しました。
安土桃山時代、徳川家康が関東の地を治めるようになってまもなくの、天正18年(1590年)に徳川家の菩提寺として増上寺が選ばれました。
徳川家康がときの住職源誉存応上人に深く帰依したため、と伝えられています。
慶長3年(1598年)に、現在の芝の地に移転。
江戸幕府の成立後は、徳川家康の手厚い保護もあり、増上寺の寺運は大隆盛へと向かって行きました。
徳川家康は元和2年(1616年)増上寺にて葬儀を行うようにとの遺言を残し、75歳で歿しました。
増上寺の徳川将軍家の墓所には6人の将軍が眠っています。
戦災によって徳川将軍家霊廟は焼失し、焼失をのがれた三門、経蔵、黒門などを含む境内は、昭和49年(1974年)完成の大本堂とともに、近代的に整備されています。
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