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両国橋から上流の展望
両国橋上流左岸の隅田川テラス
両国橋の300mほど下流から、首都高速道路6号線向島線が隅田川に沿って建設されており、両国橋から上流の左岸の隅田川テラスの上にはこの高速道路が走っています。 両国橋の300mほど上流を総武本線が走っており、さらに200mほど上流の左岸には東京水辺ラインの両国発着所があります。 両国発着所から堤防を上がったところに両国国技館があります。
両国橋から蔵前橋からの左岸の隅田テラスはテラスギャラリーになっており、堤防の壁に多くの絵が飾られています。
両国国技館
両国橋
また、両国発着所近辺の川辺の柵には相撲の決まり手の絵がはめ込まれています。 もちろん何種類もあります。 両国橋から蔵前橋までの左岸隅田テラスは深夜・早朝は閉鎖されています。
うちがけ
すくいなげ
柳橋
両国橋から蔵前橋までの右岸隅田テラスは神田川で途切れます。 神田川は井の頭公園の井の頭池を源流として東に流れ、両国橋脇で隅田川に合流する流路延長24.6kmの川です。 東京都内の中小河川としては最大規模で、しかも都心を流れているにも拘わらず全区間にわたり開渠という極めて稀な川です。
神田川
神田川が隅田川に流入する河口部に架けられているのが柳橋です。 その起源は江戸中期で、当時は下柳原同朋町(中央区)と対岸の下平右衛門町(台東区)とは渡し船で往来していたものの不便なため、架橋を願い出て許可され元禄11年(1698年)に完成しました。 その頃は隅田川の船遊び客の船宿が多く、花街として新橋とともに東京を代表する場所になり、柳橋芸者は遊女とは異なり唄や踊りで立つことを誇りとして、プライドが高かったといわれています。
柳橋は関東大震災で焼失したため震災復興事業として昭和4年(1929年)に現在の橋が完成しました。 永代橋のデザインを取り込んだといわれています。
隅田川テラスは神田川のすぐ上流から設けられていますが、隅田川テラスへの入口はJR総武線の上流側になります。 このため、柳橋を渡り丁字路を右方向に路なりに進むと、JR総武線のガードがあります。 ガードの右手前に「日本文具販売健保会館」があり、その建物の1階が「日本文具資料館」になっています。
日本文具資料館には筆記用具や計算機、その他貴重な珍しい古今の文具が沢山展示されています。 筆、硯、鉛筆、ペン、そろばん、計算機、ホチキス、ペーパーナイフを始めとしていろいろな文具が展示されています。 伊達政宗の鉛筆が特別展示されていましたが、館内は撮影禁止ですのでお届けできません。
総武本線隅田川橋梁上流からの東京スカイツリー
総武本線隅田川橋梁
JR総武線のガードをくぐってすぐ右折すると隅田川テラスに出ることができます。 総武本線の隅田川橋梁は、総武本線を両国駅から御茶ノ水駅まで延長するために隅田川に架けられた橋です。 隅田川橋梁はわが国最初のランガー桁鉄道橋です。 構造は支間38m+96m+38mの3径間で中央径間がランガー桁です。
ランガー桁は、桁とアーチの双方で荷重を支える補剛アーチ形式の一つです。 設計は隅田川に架かる多くの橋を設計した田中豊博士によるもので、スレンダーな橋はほかの道路橋とも良く調和しています。
両国橋から蔵前橋までの右岸の隅田川テラス
右岸の隅田川テラス
両国橋から蔵前橋までの右岸の隅田テラスは右手前方に東京スカイツリーを眺めながら散策することができます。 隅田川テラスには470mにも及ぶナマコ壁風の防潮堤が設けられるなど、意匠もいろいろと工夫されており、景観を楽しみながら散策することができます。
右岸の隅田川テラスは蔵前橋と厩橋間は閉鎖されているため、蔵前橋の下を通り抜けることはできません。
蔵前橋
蔵前橋は関東大震災の復興計画により架橋された橋で、昭和2年(1927年)の竣工です。 それまでは「富士見の渡し」と呼ばれていた渡船場があった場所です。
橋の上を通るのが「蔵前通り」であることから、「蔵前橋」と名付けられました。
橋全体が稲の籾殻を連想させる黄色に塗装されています。 昭和29年(1954年)9月から昭和59年(1984年)12月まで、東詰に蔵前国技館があったことから、橋の欄干に力士などのモチーフが施されています。 また、橋の上から現在の両国国技館を望むことができます。
欄干のモチーフ
蔵前橋から上流の展望
蔵前橋から厩橋までの左岸隅田川テラス
蔵前橋から厩橋までの隅田川テラスは左岸のみです。 このエリアの隅田川テラスには花壇が設けられています。 東京スカイツリーを望むことはできません。
厩橋
厩橋は元禄年間から続いていた「御厩の渡し」のあった場所です。 明治5年(1872年)に花見客の人出でこの渡し船が転覆する事故がありました。 以前から転覆事故が多く「三途の渡し」と揶揄されていたこともあり、民間の手により明治7年(1872年)に木橋が完成しました。
厩橋から上流の展望
その後、東京都の手によって鉄橋に架け替えられますが、関東大震災によって被災し、現在の橋は復興計画により架橋されたもので、昭和4年(1929年)の竣工です。
厩橋から駒形橋までの間の隅田川テラスは両岸とも散策できます。 右岸の隅田川テラスは厩橋の上流側から駒形橋の上流側までで、そこから上流は現在工事中です。
右岸隅田川テラスからの展望
駒形橋からの右岸隅田川テラス
厩橋から駒形橋までの隅田川テラスの傍らには屋形船が係留されています。 また、東京スカイツリーを間近に望むことができます。
厩橋から駒形橋までの左岸の隅田川テラスには多くの樹木が植えられており、別世界に入った感じとなります。 テラスに沿って隅田川の水を取り入れた水路も設けられています。
厩橋から駒形橋の左岸隅田川テラス
左岸隅田川テラス
駒形橋
駒形橋は関東大震災復興計画で現在の橋が初めて架橋されました。 それまでは「駒形の渡し」があった場所です。 橋の上を通っているのが都営463号上野月島線(浅草通り)です。 橋の上からは東京スカイツリーが大きく見えます。
駒形橋からの展望
駒形橋と吾妻橋間の隅田川テラスは左岸のみで、右岸は工事中です。 このエリアも緑の樹木が植えられていますが、駒形橋から下流とは雰囲気が異なり、隅田川を眺めながら散策を楽しむことができます。 前方に吾妻橋や浅草の光景が広がってきますが、残念ながら東京スカイツリーは見ることができません。
駒形橋から吾妻橋までの左岸の隅田川テラス
左岸隅田川テラスからの駒形橋
吾妻橋の創架は安永3年(1774年)で、江戸時代に隅田川に架橋された5つの橋のうちの最後の橋です。 それまでは「竹町の渡し」と呼ばれた渡し舟があった場所です。 その後、何回か架け替えが行われましたが、明治18年(1889年)の大洪水で流失したことから、明治20年(1887年)に隅田川最初の鉄橋として再架橋されました。
吾妻橋と東京スカイツリー
鋼製プラットトラス橋で、人道橋、車道橋、鉄道(東京市電)橋の3本が平行して架けられました。 関東大震災の際に、木製だった橋板が焼け落ちてしまい、一時的な補修の後、昭和6年(1931年)に現在の橋に架け替えられました。 橋名は最初は「大川橋」と呼ばれていましたが、明治9年(1876年)に木橋として最後の架け替えが行われた際に、「吾妻橋」と命名されました。
吾妻橋
吾妻橋の西岸の交差点が「浅草1丁目」であり、浅草の中心に近い橋です。 また、東岸にはアサヒビール本社や墨田区役所のある墨田リバーサイド地区があります。 桜の名所として有名な隅田公園は吾妻橋がその南端となります。
また、東京都観光汽船の桟橋である浅草ステーションが橋の西詰めに設けられています。 ここから浜離宮を経由して東京港日の出桟橋運行されている「隅田川ライン」と称する航路が出発しています。 このため、隅田川下りの拠点の一つとしても著名な場所です。
吾妻橋からの東京スカイツリー
また、吾妻橋は東京スカイツリーの撮影スポットでもあります。 橋の上や橋のたもとから東京スカイツリーを撮影できます。 また、吾妻橋と言問橋の間の右岸の隅田川テラスからはアサヒビール本社ビルに写る東京スカイツリーを撮影することもできます。
風来坊のおすすめコース 勝鬨橋から吾妻橋までの隅田川テラス散策の風来坊のおすすめコースです。 東京スカイツリーを前方に眺めながら散策できる下流から下流の勝鬨橋から上流の吾妻橋に向かうコースがお勧めです。 勝鬨橋→右岸テラス→佃大橋を渡る→左岸テラス→中央大橋で永代橋を眺めた後左岸に戻る→左岸テラス(大川端リバーシティ21)→相生橋→左岸テラス(越中島公園)→永代橋を渡る→右岸テラス→隅田川大橋を渡る→左岸テラス→清洲橋で上流を眺めた後左岸に戻る→左岸テラス(萬年橋・芭蕉庵史跡展望庭園・芭蕉記念館)→新大橋を渡る→右岸テラス→両国橋→右岸テラス(柳橋)→蔵前橋を渡る→左岸テラス→厩橋を渡る→右岸テラス→駒形橋を渡る→左岸テラス→吾妻橋 このコースでは、両国から蔵前橋の左岸テラスにあるテラスギャラリーを見ることはできません 。
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浅草雷門