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隅田川テラス散策(勝鬨橋〜吾妻橋)その2 (H23.5.18〜5.20)

中央大橋〜隅田川大橋


中央大橋からの永代橋と東京スカイツリー



中央大橋からの展望



中央大橋上流右岸の隅田川テラス

中央大橋から永代橋までの右岸の隅田川テラスは幅広い散策路が整備されており、前方に東京スカイツリーを眺めながら散策することができます。

また、中央大橋から永代橋までの隅田川テラスの堤防の上には、南北に細長い新川公園が整備されています。



中央大橋上流右岸の隅田川テラス


新川公園は、夜景・デートスポットとして有名で、永代橋、中央大橋、大川端リバーシティ21などの夜景を楽しむことができます。

隅田川沿いで最もドラマの撮影が行われる場所となっており、ここから撮影した永代橋は良くテレビ番組で見ることができるとのことです。


中央大橋上流右岸の隅田川テラス



隅田川テラスからの展望

隅田川は永代橋の下流で分岐し、分流は隅田川派流と呼ばれ、相生橋の下流で晴海運河に注いでいます。

このため、中央大橋の上流左岸の隅田川テラスは、隅田川派流に沿って大きく迂回することになります。


中央大橋から上流に向かって100mほど進むと隅田川テラスは大きくUターンする形で右に曲がります。
ここは大川端の先端部分で、パリ広場と名付けられています。
広々とした川の景色が楽しむことができ、また永代橋を眺めるスポットでもあります。

江戸時代、永代橋から下流は、佃島と石川島の2つの島が浮かぶ海でした。
佃島は天正18年(1590年)徳川家康が関東下降の際、摂津国佃島の漁夫33人と神主平岡権太夫好次が江戸に移り、正保2年(1645年)に鉄砲州沖の干拓を拝領して埋め立てを進めた漁師町で、故郷の名にちなんで佃島と命名しました。
関東大震災や戦災の難を免れたため、長い年月の変容をうけながらも昔のたたずまいを残しています。

江戸時代の佃島は、現在よりもずっと規模が小さく、佃小橋が架かっている先の部分しかありませんでした。百間四方ともいわれています。
その後、明治中期になってこの付近の埋め立てが進み、佃島の東側も埋め立てられ、「新佃島」と呼ばれることになります。
大川端リバーシティ21の一部です。



相生橋から大川端リバーシティー及び越中島公園の展望


石川島はその昔は鎧島と呼ばれる無人島でしたが、この鎧島に石川八左衛門が屋敷を建てたことから、石川島と呼ばれるようになりました。

幕末の嘉永6年(1853年)、黒船の来襲に驚いた幕府の命により、水戸藩主徳川斉昭が石川島に造船所を建造し、「石川島造船所」と命名しました。

これが現在の「石川島播磨重工(IHI)」の母胎です。


大川端リバーシティ21の隅田川テラス



石川島公園と隅田川テラス

このため、石川島は日本における近代的造船業の発祥の地でもあり、公園内に「日本初の民営洋式造船所発祥の地」の記念碑が建っています。

石川島播磨重工業の石川島の工場は昭和54年(1979年)にその役割を終え、その後はウオーターフロント開発の先駆として、大川端リバーシティ21と名付けられて発展を遂げています。



大川端リバーシティ21の石川島公園と隅田川テラス


大川端リバーシティ21は、8棟の超高層マンションを中心とする大規模住宅群です。

都心回帰の促進を図るため、住宅市街地総合整備事業の整備計画に基づいて、住宅・都市整備公団(現・都市再生機構)、東京都住宅局、東京都住宅供給公社、三井不動産によって進められた、石川島播磨重工業跡地の再開発事業です。


隅田川テラス



石川島公園と相生橋

隅田川テラスの堤防の上には石川島公園が整備されており、大川端リバーシティ21在住者の憩いの場となっています。

このリバーシティ21の高層マンション群の中にある低層棟に「石川島資料館」があります。

「石川島」の地名は「佃」に統合されて、現在は残っていません。



相生橋


大川端リバーシティ21に沿って隅田川テラスを進んだところが「相生橋」です。

相生橋の下流で隅田川派流は晴海運河に注いでいます。

相生橋は中央区佃と江東区越中島を結ぶ橋で、橋の上が「清澄通り」です。

明治36年(1903年)に架けられた橋で、佃島、石川島、月島地区にとっては初めての橋で、地元住民が待ちに待った橋です。


相生橋と中の島公園



中の島公園

ちなみに、勝鬨橋は昭和15年(1940年)、佃大橋は昭和39年(1964年)です。

最初の橋は「中之島」という中洲で2分されていました。

現在の相生橋は平成10年(1998年)に完成したものです。



中の島公園


中の島公園



相生橋


相生橋の下にあるのが隅田川で唯一の水上公園「中の島公園」です。

夜景のスポットでもあり、公園の北側からは大川端リバーシティ21を、南側からは豊洲方面の景観を展望できます。

北側と南側との移動は相生橋の下をくぐることができます。


豊洲方面



相生橋の下の通路

公園としては珍しい観潮池があり、満潮になると運河の水が入り込み、潮の満ち引きをはっきり見ることができます。

中の島はもともとは完全な浮島でしたが、現在は一部埋め立てられて、越中島方面と陸続きになっています。


相生橋を渡った右手にあるのが東京海洋大学(旧東京商船大学)でそのキャンパスに明治丸が保存されています。

明治丸は明治7年(1874年)にイギリスで灯台巡視船として建造されました。


明治天皇が東北巡幸の際に乗船されており、明治天皇が東北巡幸から帰着された7月20日が「海の日」に制定されています。

現在修復工事中で見学はできません。


明治丸



越中島公園



越中島公園

相生橋を渡った左側に拡がっているのが越中島公園です。

南は清澄通りから北は大島川水門まで伸びる南北に細長い公園です。

公園内は大きく3段になっていますが、一番下段には段差があり厳密には4段に別れています。

隅田川テラスは越中島公園と一体となっています。


3段ともスロープでつながっているため、自転車や車椅子に乗って移動できるバリアフリーとなっています。

上段はメインストリートで、相生橋、大川端リバーシティ21、中央大橋、永代橋などの景観を眺めながら散策することができます。


越中島公園と相生橋



越中島公園


越中島公園



越中島公園

中段はベンチと草花に囲まれた静かな通りですが、道幅がやや狭いです。

下段は段差があって実質的にはさらに2段に分かれています。

満潮時には最下段には運河の水が浸水し、水に触れることができますが、水質は良くありません。

また、東京水辺ラインの越中島発着所があります。



隅田川テラス&永代公園


公園の北側は大島川水門で行き止まりになっており、公園の上段から公園出入り専用歩道を通り、越中島連絡橋及び巽橋を渡って、大島川水門の上流側の隅田テラスに出ることになります。

大島川水門から永代橋までの隅田川テラスに沿って整備されている細長い公園が永代公園です。


連絡橋



巽橋

散歩・ジョギングコース

信号が無い、車が少ない、夜でも比較的明るい、景色が良い、通路が整備されているなどという点から、次のコースは犬の散歩、ウォーキング、ジョギングなどの定番コースとなっています。

徒歩で一周約40分です。


越中島公園〜相生橋〜石川島公園〜中央大橋〜新川公園〜永代橋〜永代公園〜越中島公園



大島川水門


大島川水門



永代橋


永代橋が架橋されたのは元禄11年(1698年)8月で、江戸幕府5代将軍徳川綱吉の50歳を祝したもので、現在位置よりも100mほど上流に架けられた、隅田川で4番目の橋です。

永代橋は隅田川で最も下流に架けられた橋で、江戸湊の外港に近く、多数の廻船が通過するために橋脚は満潮時でも3m以上あり、当時としては最大の大橋でした。


永代橋



永代橋

長さ約200m、幅6mの橋で、橋上からは「西に富士、北に筑波、南に箱根、東に安房上総」と称されるほど見晴らしの良い場所であったと記録に残されています。

また、元禄15年(1702年)12月の赤穂浪士の吉良上野介屋敷への討ち入りでは、討ち入り後に上野介の首を掲げて永代橋を渡り、泉岳寺に向かったといわれています。

一つ目通りを引き揚げる途中、永代橋近くの乳熊屋で休息し、一行が甘酒の接待を受けたといわれています。


現在の橋は、大正15年に関東大震災復興事業第一号として架橋されたものです。

「震災復興事業の華」と謳われた清洲橋に対して、「帝都東京の門」といわれた永代橋はドイツライン川に架かっていたルーデンドルフ鉄道橋をモデルにした、現存最古のタイドアーチ橋で、かつ日本で最初に径間長100mを超えた橋でもあります。

平成19年(2007年)に、都道府県の道路として初めて、勝鬨橋、清洲橋とともに国の重要文化財に指定されています。


赤穂浪士休息の地



永代橋から上流の展望



隅田川大橋と東京スカイツリー

永代橋から下流の大川端リバーシティの展望は素晴らしいですが、逆光のため撮影できていません。

永代橋から上流の展望は隅田川大橋越えに東京スカイツリーを眺めることができます。



永代橋から隅田川大橋までの左岸の隅田川テラス


永代橋から隅田川大橋までの左岸の隅田川テラスにはパーゴラが設けられています。

パーゴラの上部の棚には植物が這わされており、その下の日陰で休憩することができます。

また、樹木も刈り込まれており、庭園風のテラスとなっています。


左岸の隅田川テラス



左岸の隅田川テラス


左岸の隅田川テラス



豊海橋

永代橋から隅田川大橋までの右岸の隅田テラスは日本橋川で途切れています。

日本橋川はJR水道橋駅西口近くで神田川から分岐して南東に流れ、永代橋のすぐ上流で隅田川に合流しています。

ほぼ全流路に渡って首都高速道路の高架下を流れており、川面が開けるのは隅田川に合流する手前500m程度です。


豊海橋で日本橋川を渡り50mほど左に進んだところに「日本銀行創業の地」の記念碑があります。

日本銀行は明治15年(1882年)にこの地で開業し、明治29年(1896年)に日本橋本石町現在地に移転しております。

この碑は創業100周年を記念して昭和57年に建てられたものです。


日本銀行創業の地



日本銀行創業の地の碑


日本銀行創業時の本館



隅田川大橋



隅田川大橋

隅田川大橋は隅田川唯一の二層式の橋で、首都高速9号深川線の建設にあわせて架橋されたもので、先に下段の隅田川大橋が昭和54年(1979年)に完成し、翌年に上段の高速道路高架部分が開通しました。

機能性重視の設計になっており、景観的に好ましくないとの声もあるとのことです。



隅田川大橋から上流の展望



隅田川大橋から上流の展望


永代橋と清洲橋は、本来は対に設計されたものですが、その中間に二層式の隅田川大橋ができたため見通せなくなりました。

隅田川大橋は隅田川に架かる橋梁の中では比較的新規に建設されたため、高架部も高めに設計されており、橋の上からの眺めは素晴らしいものになっています。


永代橋から隅田川大橋までの右岸の隅田川テラス



永代橋から隅田川大橋までの右岸の隅田川テラス

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