中央大橋から上流に向かって100mほど進むと隅田川テラスは大きくUターンする形で右に曲がります。
ここは大川端の先端部分で、パリ広場と名付けられています。
広々とした川の景色が楽しむことができ、また永代橋を眺めるスポットでもあります。
江戸時代、永代橋から下流は、佃島と石川島の2つの島が浮かぶ海でした。
佃島は天正18年(1590年)徳川家康が関東下降の際、摂津国佃島の漁夫33人と神主平岡権太夫好次が江戸に移り、正保2年(1645年)に鉄砲州沖の干拓を拝領して埋め立てを進めた漁師町で、故郷の名にちなんで佃島と命名しました。
関東大震災や戦災の難を免れたため、長い年月の変容をうけながらも昔のたたずまいを残しています。
江戸時代の佃島は、現在よりもずっと規模が小さく、佃小橋が架かっている先の部分しかありませんでした。百間四方ともいわれています。
その後、明治中期になってこの付近の埋め立てが進み、佃島の東側も埋め立てられ、「新佃島」と呼ばれることになります。
大川端リバーシティ21の一部です。
|