散策スポット・北海道東北

散策スポット目次

HOME

前ページ

次ページ

佃島・月島散策 その2 (H23.2.1〜2.13)

月島散策


右が築地 左が月島 遙か前方に遙か先方に勝鬨橋が!



佃大橋 橋を渡った右下に佃渡船の石碑がある

「佃渡し広場」の傍に階段があり、これを登ると佃大橋の上に出ることができます。

佃大橋の上に出ると中央大橋や東京スカイツリーを眺めることができます。

下流には聖路加タワーや勝鬨橋を見ることができますが、この橋の上には横断歩道がありませんので、反対側へは橋の下に降りて廻る必要があります。


「佃渡し跡広場」から隅田河畔の遊歩道・隅田川テラスに出ることができます。

素晴らしい景観を眺めながら、佃大橋の下を抜け、隅田川テラスを下流方向に進むと、月島川水門のため勝鬨橋の手前150m程度で隅田川テラスが途切れます。

少し手前にある階段を登り、反対側に降りたところが「わたし童公園」で、その隅に「月島の渡し跡」の案内板が建っています。


少し先で隅田テラスが途切れます



月島の渡し跡

「月島の渡し」は、月島一号地の埋立てが完成して間もない明治25年(1892年)11月、土木請負業の鈴木由三郎が、現在の明石町から月島3丁目へ、手漕ぎの船で私設の有料渡船をはじめたことに始まるといわれています。

明治34年(1901年)、月島への交通の重要性を考慮した東京市が市営化を決め、翌35年から汽船曳船2隻で交互運転を開始し、渡賃も無料になりました。


月島は臨海工業地帯として発展し、明治44年(1911年)には乗客の増加に対応するため徹夜渡船が開始されました。

その後、昭和15年(1940年)に勝鬨橋が架橋され、渡船の利用者は減少の一途をたどり、月島の渡しは廃止されることになりました。


銀座の柳三世



銀座の柳三世

「わたし児童公園」を出て右折して150mほど進むと丁字路があり、ここを左折して150m程進むと交差点があります。

この交差点を右に曲がった西仲橋の手前に「銀座の柳三世」が植えられています。

江戸から明治、大正、昭和そして平成の今も中央区を象徴する「柳」。

「昔恋しい銀座の柳(東京行進曲)」などの流行歌で全国に知られるようになった「銀座の柳」は、昭和45年(1970年)、銀座通りの改修工事で撤去されましたが、昭和59年(1984年)銀座御門通り会長・椎葉氏と銀座金春通り会長・勝又氏により「銀座の柳二世」として復活しました。

月島にある柳は「銀座の柳二世」の枝を育成した「銀座の柳三世」で勝又氏から譲り受けた「柳を愛する区民の会」が寄贈したものです。


月島川は、月島と勝どきの間を流れる川で、夏から秋にかけてハゼがよく釣れます。

「月島川水門」は、月島川が隅田川に合流する地点にあり、1964年に完成しました。

通常時は、船舶が通航するために開放していますが、高潮あるいは津波時には、周りの住吉水門、浜前水門などとともに閉鎖され、月島、勝どきなどの防波堤で囲まれた地域の住民の生命や財産を守ります。


月島川水門



月島西仲通り商店街



月島西仲通り商店街

「西仲橋」から「銀座の柳三世」の方に戻りそのまま150mほど進んだところが、「月島西仲通り商店街」です。

「西仲通り商店街」はもんじゃ焼きの町として知られており、メインストリートは「もんじゃストリート」と呼ばれ観光客で賑わいます。


月島西仲通は比較的新しい商店街です。

明治中期に埋め立てにより誕生した月島は、殖産興国という国策により重工業化が進み、隣接する石川島造船所に関連する鉄工所や機械工場が多く点在し、隅田川や運河の沿いには海運業や倉庫が立ち並んでいました。

このため多くの労働者がこの地へ流入し、鉄工業地帯という一方で住宅地としても人口が急増していきました。


月島西仲通り商店街



月島西仲通り商店街

また、他地域との往来は対岸の築地と月島の間を渡し船(月島の渡し)で行われていたため、船着場に近い月島の西側地域には必然的に人が集まり、自然と商いの場になっていきました。

その中心は月島の中央道路(清澄通り)より西側の西仲通りで、明治末には露店も含めて商店街らしい形になりました。

これが「月島西仲通り商店街」の発祥です。


大正から昭和初期にかけて月島地区は最初の全盛期を迎えます。

人口はさらに増え続け、区画整理された路地には長屋が立ち並び、商店街も一層の賑わいをみせ、街の中心的役割を果たしてきました。

現在の月島の古い町並みは太平洋戦争の戦災を免れたため、この当時の町並みが色濃く残されています。


月島西仲通り商店街



月島西仲通り商店街

当時は路地や空き地に駄菓子屋があり、そこには大きな鉄板があり、遊んでお腹の減った子供達は僅かなお小遣いで「文字焼き(もんじゃ)」を作って食べていました。

現在の「もんじゃ焼き」の原形といわれるこの食べ物は、小麦粉を溶いて薄く焼いたものに醤油や蜜をつけて食べていました。「文字焼き」とは焼く時に文字や図柄を画いて楽しみながら食べていた様子から名付けられたといわれています。


もんじゃとはいわゆるお好み焼きの一種です。

月島において戦前からあった定番の(紅ショウガ、桜エビ、切りイカ)の具を入れて食べるお好み焼きから、変わり種のお好み焼きが開発されていったとのことです。

「いちごみるくもんじゃ」など新しいもんじゃも発売されています。


月島西仲通り商店街



月島西仲通交番

月島西仲通り商店街にはもんじゃ屋が75店ほどありますが、歴史のある店は数店で、他の店は1980年代後半の「もんじゃブーム」の時に、他の商店からもんじゃ屋にくら替えしたケースが多いとのことです。

もんじゃ焼きの店舗では、お好み焼きをも供するのが一般的です。


月島西仲通り商店街の月島2番街と月島3番街の境の十字路の角に「月島西仲通交番」があります。

警視庁で最も古い交番で、大正10年(1921年)頃に設置された時は木造でしたが、大正15年(1926年)に現在の鉄筋コンクリートの建物に建て替えられました。


月島西仲通交番


月島観音

2008年3月末までは実際の交番として使われ、現在は月島警察署・西仲通地域安全センターとして使用されています。

東京に現存する最も古い交番でした。

交番のすぐ西側のサングランパビルの中央付近の1階に参道があり、その奧に「月島観音」があります。


月島観音の正式な名前は「信州善光寺別院本誓殿 月島海運観世音」です。

海運、遺失物の発見、病気の平癒にご利益があるとされています。

1951年の建立で、御本尊は観世音菩薩と一光三尊如来を安置しています。

毎月27日が縁日で、西仲通り商店街全域で「びっくりセール」をやっており、月島に行くならば27日がお得とか!


月島観音



月島観音

「月島観音」の傍のエレベーターの前に「月島温泉」の看板があります。

月島温泉といっても温泉ではなく「温泉気分で楽しんで欲しい」ということからこの名前にしているようです。

40年以上前からここで営業していて、場所柄、築地市場から帰るお客さんが多いため、11時オープンと銭湯としては早い時間から営業しています。


お湯には並々ならぬこだわりがあり、お水はすべて軟水を使用しているとのことです。


「肌がすべすべになって化粧のノリも良くなる」とは奥さんの弁。


併設のコインランドリーの水ももちろん軟水で、洗剤は少なめでOKとのことです。


月島温泉



奈良間稲荷

「築地交番」から月島駅の方向に150m程進んだ最初の交差点を右折し、150m程進むと清澄通りとなります。

清澄通りとの交差点の左手前角のお店の建物の一角に「奈良間稲荷」があります。

看板建築風の建物の一角です。


稲荷大明神は八百万神々の一つでお稲荷様、お稲荷さんの名で親しまれています。

稲荷神を祀る神社を稲荷と呼び、また京都伏見にある伏見稲荷大社が日本各所にある神道上の稲荷神社の総本社とされています。

奈良間稲荷神社はもともと静岡県に建っていた社を移してきたものだそうです。

奈良間稲荷のすぐ傍が月島駅の8番入口です。

この付近には看板建築のお店を見ることができます。


看板建築の商店


奈良間稲荷


関連するホームページ

 月島西仲通り商店街



 佃島・月島散策その1へ

 佃島・月島散策その3へ



        風来坊


目次  TOP  HOME