明治25年(1892年)、銀座・築地方面と月島との間には「月島の渡し」が開設されましたが、月島側の発展にともない、両地の交通はこれのみではさばけない状態でした。
明治38年(1905年)、日露戦争の旅順要塞陥落を祝勝して、京橋区民の有志が「勝鬨の渡し」と名付けて渡船場を設置し、東京市に寄付しました。ここにある石碑は、この時に建てられた記念碑です。
設置された勝鬨の渡しの渡船場は、ここから約150メートル西の波除稲荷神社の傍の海幸橋のたもとにありました。
対岸にある月島側の渡船場は、月島西河岸通9丁目(現在の勝どき1・3丁目の境)の辺りにあって、この間を渡船が運航していました。
勝鬨の渡しは、月島への労働人口の集中を容易にさせることになり、月島が工業地帯として発展する基となりました。
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