散策スポット・北海道東北

散策スポット目次

HOME

前ページ

次ページ

養老渓谷の紅葉 その1 (H23.12.11)


白鳥橋付近の紅葉



白鳥橋

養老渓谷は千葉県の大多喜町から市原市を流れる養老川によって形成された渓谷です。

この付近には温泉郷、大福山、梅ヶ瀬、紅葉谷など数々の景勝地がありますが、総称して養老渓谷といわれているようです。

四季を通じて自然を楽しむことができ、渓谷美を求めて多くの観光客やハイカーが訪れます。


養老渓谷は紅葉の名所としても知られており、紅葉スポットとしては梅ヶ瀬、粟又の滝、筒森もみじ谷、中瀬遊歩道などがあります。

しかしながら、養老渓谷の紅葉スポットは分散しており、一度にすべてを廻ることはできません。

今回は中瀬遊歩道と粟又の滝を訪ねることにしました。


白鳥橋から養老川を望む



観音橋



観音橋

今回のコースは次のとおりです。

養老渓谷駅→宝衛橋→白鳥橋→観音橋→中瀬遊歩道→共栄橋→老川十字路→水月寺→小沢又の滝→滝めぐり遊歩道→粟又の滝

次のサイトで、画面下部の「最新ハイキングマップ08 プリント用」をクリックすると、コースの細部をご覧いただけます。

  養老渓谷


養老渓谷駅から案内板にしたがって500mほど進むと宝衛橋です。

宝衛橋から100mほど進むと道が二つに分かれており、右手を進むと梅ヶ瀬渓谷方面になります。

左手の道路はなだらかな上り坂を500mほど進み、坂を上りきったところに変則丁字路があり、この丁字路を左に道なりに500mほど進んで、坂を下りたところが白鳥橋です。


観音橋



観音橋からの養老川の展望



養老山立國寺

白鳥橋から道なりに200mほど進むと丁字路(吊橋入口のバス停)で市原天津小湊道路にぶつかります。丁字路を左に進むと養老渓谷駅で、右手に200mほど進んだところが養老渓谷温泉街です。

養老渓谷温泉街には十数軒のホテルや温泉旅館があります。

大正3年(1914年)に井戸から鉱泉が湧き出したのが始まりと伝えられる比較的新しい温泉です。

ヨウ素を含んだ茶褐色の湯は肌がすべすべになると評判のようです。


温泉街の手前右手にある朱色の鮮やかな太鼓橋が、養老渓谷のシンボルとしてよく知られている観音橋です。

観音橋を渡り、登り道を焼く10分ほど進んだところに養老山立國寺があります。

養老山立國寺は「出世観音」と呼ばれ、源頼朝公が「再起をかけ祈願」したところといわれています。


出世観音


約800年前、源頼朝が天下統一の旗揚の際、小田原の石橋山の合戦において大庭景親に敗れ、九死に一生を得て安房に逃れ転じて上総に入り、再起を賭け昼間なお暗き当処の山谷に立て篭もり、持参の観音像を祀り、一心不乱に戦勝祈願をしました。

その後、この地に一大勢力を誇る上総介広常、・常胤、三浦義明・義澄、下野の小山朝政、下総の下河辺行平・安西景益等の助けを借りて、下総より関東に攻め入り、天下を平定・掌握し、公家社会から武家社会の初めての頭領になったとされています。

この由緒にちなみ、当処に鎮座された御神霊を「開運招福の守護神」「出世観音」と命名し立國寺の観音像に移入して安置しているとのことです。

このことから、「開運招福」の観音様として、また「祈祷の名刹」といわれ多くの人たちが参詣に訪れます。



中瀬遊歩道から観音橋を望む



中瀬遊歩道から観音橋を望む



中瀬遊歩道の紅葉

養老渓谷温泉街のすぐ手前が中瀬遊歩道の入口です。

中瀬遊歩道はここから上流の共栄橋まで養老川沿いに設けられた約1.2kmの遊歩道です。



中瀬遊歩道



中瀬遊歩道


中瀬遊歩道は川沿いに設けられているため、数回川を渡ることになりますが、遊歩道に橋は架かっていません。

川の中に設けられている飛び石を伝って渡ることになります。

この飛び石は幅が狭く、すれ違うときは注意を要します。


中瀬遊歩道



中瀬遊歩道の紅葉



中瀬遊歩道の紅葉

中瀬遊歩道の中間点付近に、養老渓谷を代表する景勝地の一つの弘文洞跡があります。

弘文洞は今から約140年前に、耕地を開拓するために、養老川の支流である蕪来川(夕木川)を川廻しして造った隧道です。

弘文帝と十市姫にゆかりの深い高塚や筒森神社の傍を流れ本流にそそぐ合流点にあることから「弘文洞」と命名されました。



中瀬遊歩道の紅葉


景勝地、釣り場の代表として紹介されていましたが、昭和54年(1979年)5月24日未明に、一大音響とともに崩壊したとのことです。

左右の切り立った二つの崖は、昔は山に穴を空けたトンネルでしたが、崩壊によりトンネルの上部がなくなってしまいました。


中瀬遊歩道の紅葉



弘文洞 前方が蕪来川


川廻し

川廻しは、狭い山域で水田の用地を得るためなどの目的で行われた河川土木技術です。

蛇行している河川で、ひとつの山を挟んで上流、下流が近接しているところ同士をトンネルでつないでバイパスさせると、それによって川の流れが変わって干上がった旧河川床ができます。この土地を農地などに利用するというもので、主に江戸期に盛んに行われたものと推測されています。

房総半島の丘陵部には、この川廻し地形が数多く見られるとのことですが、他の地方にはあまり例がないようです。
これは房総のやわらかな地質によるところが大きく、ひとつには山の侵食が早いために、低い山の合間を縫うように蛇行した川が非常に多く存在していること、またもうひとつには、トンネルを作るのに人力でも掘りやすかったことがあげられるようです。

もちろん、このようにして少しでも多くの農耕などに使用可能な土地を得たいという需要があったのは当然のことかと思われます。
川廻しは、房総の養老川、小櫃川、小糸川、湊川、夷隅川などの主要河川の支流に数多く見られるとのことです。



中瀬遊歩道の紅葉



中瀬遊歩道の紅葉



共栄橋

共栄橋で養老川沿いの遊歩道は終了で、ここから上流に向かって川沿いを歩くことはできません。

遊歩道から共栄橋を渡り、その先にあるトンネルをくぐってさらに100mほど進むと、丁字路があり市原天津小湊道路(清澄養老ライン)にぶつかります。

丁字路を左に進むと養老渓谷温泉街です。



共栄橋からの展望


丁字路を右折して、市原天津小湊道路に沿って300mほど進むと旧道と新道に分かれます。

今回は新道を進みました。
1kmほど進むと老川十字路の交差点です。

この十字路の近くにある「やまびこセンター直売所」の裏手の山に広がるのが「老川もみじ郷」です。

今回は事前調査不足で見逃しました。


共栄橋



旧道の老川十字路付近の紅葉 右上が新道 赤い橋の下が旧道



坂道を上ったところの紅葉 粟又の滝まで2.8km

老川十字路を右折して50mほど進んだところが旧道の老川十字路です。

十字路を200mほど直進した右手に旅館「福水」ががあり、この付近が紅葉のスポット「懸崖境」です。

この付近の渓谷は右岸が切り立ち、左岸は平坦になっており、断層がよくわかる場所とのことです。

また。コントラスト鮮やかな紅葉が楽しめるとのことですが、今回はパスしました。


旧道の老川十字路を左折すると急な上り坂となります。

上り坂の途中から右下を眺めると見事な景観が広がっていました。

旧道の老川十字路付近の光景です。

老川十字路から2kmほど進んだところに「粟又の滝遊歩道」「水月寺」の案内板があり、案内板にしたがって右手に50mほど進むと「水月寺」です。


水月寺



水月寺

水月寺は、至徳元年(1384年)の開創で臨済宗妙心寺派の禅寺です。

天正4年(1576年)峩岩和尚を招いて開山とし臨済宗に改宗しました。

春には沢山のイワツツジ(ミツバツツジ)やサツキの花で彩られるお寺です。
イワツツジは住職が種から育てたものだそうです。

見頃が3月下旬から4月下旬です。



関連するホームページ

 養老渓谷


 養老渓谷の紅葉その2へ


     風来坊


水月寺


目次  TOP HOME