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日光山内散策 その2 (H23.11.7)

二荒山神社


二荒山神社大鳥居



縁結びの御神木

二荒山神社は、日光における山岳信仰の中心として古くから崇拝されてきた神社で、日光の3つの山の神、大己貴命(父)、田心姫命(母)、味耜高彦根命(子)の親子3神を総称して二荒山大神と称し、主祭神として祀っています。

3つの山とは、男体山(二荒山)、女峯山、太郎山の三山です。

この山々は神体山、いわゆる神奈備であり、神が鎮まる霊峰として古くから信仰されてきました。この日光の神々は「日光三山」「日光三所大権現」などと呼ばれ、山の名前からもわかる通り、これらの神々は親子と考えられてきました。

二荒山大神に現在の神が当てられたのは12世紀頃だと言われています。

江戸時代になると、徳川幕府によって新たに本殿や社殿が造営され、このうち、本殿や神橋など23棟が重要文化財に指定されています。


縁結びの御神木
本殿正面参道の大鳥居を入ると右手に縁結びの御神木があります。

杉と楢の木が合体した木です。好き(杉)なら(楢)一緒として縁結びのご利益があるといわれています。

神門
本殿正面参道の大鳥居を入ると、正面に朱塗りの神門があります。

昭和57年(1982年)の記念行事の記念事業の一環として、楼門と同時に建てられました。同じ朱塗りの拝殿、本殿、透塀にマッチしています。


神門



拝殿



御神木 三本杉

拝殿

唐門をくぐると正面に拝殿があります。

拝殿は元和5年(1619年)に造営されたもので、正保2年(1645年)に本殿に移転に伴い再建されました。

本殿とは異なり、彩色文様も彫刻もなく、単純ですが、創建当時の建築様式を現しています。


本殿

徳川2将軍秀忠公が寄進した安土桃山様式の優美な八棟造り(やつむねづくり)の本殿は、

元和5年(1619年)に造営した当時のままの、ただ1つの建造物として、重要文化財に指定されています。

各部分の華やかで複雑な彩色、塗装、彫刻などの装飾は元和創建当時の建築様式を現しています。


神輿舎

神輿舎は拝殿の西側にあって、拝殿に向かって建っています。

日光の社殿のなかでも数少ない素木のままの、簡素で気品のある建造物です。内部には、弥生祭で渡御する神輿3基が納められています。

元和3年(1617年)に東照宮の仮殿の拝殿として建てられたものを、寛永年間(1624〜44年)に現在の位置に移転しています。

日光では、現存するなかでもっとも古い建物で、重要文化財に指定されています。


神輿舎



化燈籠

銅燈籠(化燈籠)

本殿透塀に沿って、寄進された多くの石燈籠とともに、唐銅製春日造りの燈籠があります。

夜ふけに火をともすと、ゆらゆらと怪しげな姿に変わるというので、警固の武士に切りつけられた無数の刀傷があり、化燈籠の名でも有名です。

お化けの正体は何なのだろう。実は、燈籠に使っていたナタネ油をなめにきたモモンガか、ムササビではなかったろうかということらしい。これは伝えによるところで、真相は明らかではありません。



大国殿



大国殿


男体山の神、大己貴命(おおなむちのみこと)を祀る神殿です。

大己貴命の別名は大国主命で、昔から「だいこく様」と呼ばれて招福、繁盛、縁結びの神様として親しまれています。


招き大国様



円石

二荒山神社では、12月を除く毎月第2土曜日を「だいこくまいりの日」として、境内の大国殿にお参りする縁日を開いている。

この行事のなかでも最大のお祭りが、6月に開催される「だいこくまつり」です。


大国殿の前に「円石」と呼ばれている、丸い石があります。

石をなでると心が丸くなるとのことです。



二荒霊泉


二荒霊泉

神苑の朋友神社の先に鳥居があります。

その奥に、清らかな清水をたたえているのが、二荒霊泉です。

本殿後ろの恒例山の洞窟からわき出て、眼病に効く霊験があるとされる名水「薬師霊泉」と、滝尾神社の境内、天狗沢のほとりにわき出る名水「酒の泉」を集めて、大谷川の巨石と名石で組んだ池に引いています。

「酒の泉」で酒を造ると銘酒ができると、地元の醸造元の信仰も厚いとのことです。


朋友神社



縁結びの笹

境内の御神木

二荒山神社の境内には神域にふさわしい多数の老木、巨木が立ち並び、親子杉、三本杉、夫婦杉など、御神木として人々の信仰を集めているものが多くあります。


縁結びの笹

大きな御神木の裏に茂る笹です。

願い事を記して結べば、あらゆる良縁に恵まれると言われています。


神橋

神橋は、既に室町時代にはその存在が確認されています。

現在の橋形は、寛永13年(1636年)のもので、左右の川岸に沿って石の橋脚が立てられ、朱漆塗りです。

明治35年(1902年)に洪水で流失し、明治37年(1904年)に本来の形式に忠実に再建されました。


神橋


日光山輪王寺


勝道上人の像



境内の紅葉

輪王寺は奈良時代の末に勝道上人によって日光山は開かれました。

現在の神橋の近くに勝道上人が創建した四本龍寺が輪王寺の起源であり、日光山の中心寺院として発展してきました。

承応2年(1653年)に、3代将軍徳川家光の霊廟である大猷院が境内に造営されて以来、徳川幕府の尊崇を受けました。

大猷院霊廟本殿、相の間、拝殿が国宝に、その他の37棟が重要文化財に指定されています。


輪王寺の堂塔は1か所にまとまっておらず、日光山内の各所に点在しています。

東照宮の南方の境内には本堂の三仏堂や寺務所があり、ここには本坊表門、護法天堂、相輪とうなどがあります。

二荒山神社西側には大猷院霊廟の建築群があり、その南側には常行堂と法華堂、そこから長い石段を上った先には中興の祖・天海を祀る慈眼堂があります。


黒門



相輪とう

勝道を祀る開山堂は東照宮北方、滝尾神社への参道の途中にあります。

このほか、神橋近くの二荒山神社本宮に隣接した四本龍寺の旧地には、観音堂と三重塔があり、少し離れて児玉堂があります。

さらに。中禅寺湖畔の中禅寺(立木観音)も輪王寺に所属しています。



本堂(三仏堂)


本堂(三仏堂)

本堂(三仏堂)は、日光随一、東日本では最も大きな木造の建物で、平安時代の嘉祥元年(848年)に創建された、全国でも数少ない天台密教形式のお堂です。

現在の本堂は、正保2年(1645年)に、徳川3代将軍家光によって建て替えられました。


大護摩堂



大護摩堂

明治4年(1871年)の神仏分離令の実施に伴い、明治12年(1879年)に現位置に移転されています。

三仏堂は、約50年ぶりの大修理(平成19〜30年度予定)が行われており、正面は仮囲いで覆われていました。



逍遥園の紅葉



逍遥園の紅葉


逍遥園

日光の紅葉の名所として有名な「逍遥園」は、1200年の歴史を持つ輪王寺門跡の庭園として江戸時代初期に作庭されたものです。

一説には小堀遠州の作と伝えられており、その完成を見たのは寛永年間ですが、その後たびたび改修が繰り返され、江戸時代全般にわたる変化が見られる興味深い名園です。


逍遥園の紅葉



逍遥園の紅葉

明治9年(1876年)6月、明治天皇の東北御巡幸の際には、木戸孝允らを随え、この逍遥園に在った「輪王寺本坊」に3泊され、二社一寺をはじめ中禅寺方面まで視察されたとのことです。

神仏分離の混乱の時で「旧観を失うなかれ」という有名な言葉を残されたとのことです。その3年後にはアメリカ大統領となったグラント将軍も宿泊されています。


逍遥園の紅葉


庭園の面積は3200平方メートル(約1000坪)で、東西に細長くひらけ、東から御霊殿、聖蹟之間、宝物殿、紫雲閣と、どの位置からも観賞出来る池泉回遊式の庭園となっています。

庭園全体の造りは、南西部を築山として、南方の鳴虫山と西方の男体山、北方の女峰山、赤薙山の山々を借景にしており、春夏秋冬のみでなく朝夕の変化も素晴らしいものです。


逍遥園の紅葉



逍遥園の紅葉

関連のホームページ

 日光二荒山神社

 日光山輪王寺


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        風来坊


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