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小田原城のあじさい (H23.6.23)


小田原城東堀斜面のあじさい



東堀斜面のあじさい



東堀斜面のあじさい

小田原城は、戦国時代から江戸時代にかけての平山城で、北条氏の本拠地として有名です。

小田原城が初めて築かれたのは、大森氏が小田原地方に進出した15世紀中頃です。


1500年頃に戦国大名小田原北条氏居城となってから、関東支配の中心拠点として次第に拡張整備されました。

小田原城の最大の特徴は、豊臣軍に対抗するために作られた広大な外郭です。

八幡山から海側に至るまで城下町全体を総延長9kmの土塁と空堀で取り囲んだものであり、この総構え完成により城の規模は最大に達し、日本最大の中世城郭に発展しました。


東堀斜面のあじさい



常磐木橋周辺のあじさい



常磐木橋周辺のあじさい



常磐木橋周辺のあじさい

江戸時代になると小田原城は徳川家康の支配するところとなり、その家臣大久保氏を城主として迎え、城の規模は三の丸以内に縮小されました。

慶長19年(1614年)に、徳川家康は自ら数万の大軍を率いて、この総構えを撤去させていますが、これは地方の城郭にこのような大規模な総構えがあることを警戒したためと伝えられています。


小田原城主となった大久保氏は、2代藩主大久保忠隣の時代に政争に敗れ、改易されて城も破却されました。

いくつかの変遷の後、寛永年間に稲葉氏が城主になると、大規模な改修工事が進められ、近世城郭として生まれ変わりました。


その後、大久保氏が再び城主となりますが、元禄16年(1703年)に発生した地震により天守をはじめ城内の各施設はほぼ倒壊焼失してしまいます。


常磐木橋周辺のあじさい



常磐木橋周辺のあじさい


常磐木橋周辺のあじさい



常磐木橋周辺のあじさい

その後、本丸御殿等を除き再建され、箱根を控えた関東地方防御の要衝として、また幕藩体制を支える譜代大名の居城として、幕末まで重要な役割を担います。

しかし、明治3年(1870年)小田原城は廃城となり、ほとんどの建物は解体され、残っていた石垣も大正12年(1923年)の関東大震災によりことごとく崩れ落ちてしまいました。


小田原城址は御用邸時代を経て地元自治体に払い下げられ現在に至っています。

小田原市では、貴重な文化的遺産である小田原城跡を長く後世に伝えていくことを目的として、本格的な史跡整備に取り組んでおり、本丸を中心に「城址公園」として整備されています。


常磐木橋周辺のあじさい



常磐木橋周辺のあじさい

小田原城址公園のでは、毎年6月には約8000株の花菖蒲と約2100株のあじさいとがほぼ同じ時期に見頃を迎え、多くの観光客で賑わいます。

今年も6月4日(土)〜6月26日(日)の間、「小田原城あじさい花菖蒲まつり」が開催されました。



東堀花菖蒲園


花菖蒲は東堀の花菖蒲園に植えられています。

あじさいは城内のいたるところにありますが、メインは花菖蒲園の本丸側斜面に植えられているあじさいです。

常磐木橋周辺と東堀斜面に区分されるようですが、2つは連続しています。

色とりどりのあじさいが咲き誇り観光客の目を楽しませてくれます。


東堀花菖蒲園



アナベルのコーナー

「小田原城あじさい花菖蒲まつり」の期間中は21時までライトアップが行われます。

また、期間中は園内広場にテーブルと椅子が置かれ、花を観賞しながらお茶や食事を楽しむことができる「オープンガーデン」が用意されるほか、小田原おでんなどの出店もあります。

野外コンサートのイベントも開催されます。


今年はあじさいの開花が遅く、6月23日に開成町のあじさいを見た後に、小田原城址公園に行きましたが、残念ながら花菖蒲は見頃を過ぎていました。

しかしながら、花菖蒲園の本丸側斜面には色とりどりのあじさいが見頃を迎えており、見事な景観を楽しむことができました。


郷土文化館前のあじさいと銅門



蓮池周辺のあじさい


アクセス

小田原駅東口から徒歩10分。


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    風来坊


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