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生麦事件参考館
近代日本の幕開けとなった生麦事件は、文久2年(1862年)8月21日、薩摩藩主島津久光の行列が生麦村(生麦4−25付近)を通行中、馬に乗ったイギリス人と鉢合わせとなり、不幸な事件が発生しました。
生麦事件参考館は、地元の浅海武夫氏が平成6年(1994年)に家業に酒屋の代表取締役を辞して自宅に開いた資料館です。 収集した事件関連の資料は約千点で、その一部が10畳ほどのフロアに展示されています。 「酒の記念館」も併設されています。 浅海氏は講演で留守することがあるため、見学には予約が必要です。 電話番号は045−503−3710です。
生麦事件の碑 生麦事件参考館から元の道路に戻り、「生麦駅入口」の交差点を渡りそのまま真っ直ぐ進むと丁字路で、旧東海道とぶつかります。 丁字路を右折して旧東海道を西に進みます。 左手がキリンビール横浜工場の物流センターです。
キリンビール横浜工場物流センター
生麦事件の碑
碑の撰文は「西国立志編」の翻訳で知られる中村正直氏です。 毎年8月21日に、顕彰会の人達により慰霊祭が行われています。
旧東海道と第一京浜が合流する地点の道路脇に生麦事件の碑が建っています。 鶴見神社宮司の黒川庄三は事件が風化するのを憂いて、明治16年(1883年)、4人のイギリス人のうちリチャードソンが落命した場所に事件碑を建てました。
キリン横浜ビアビレッジ
キリン横浜ビアビレッジ 明治3年(1870年)、アメリカ人コープランドが横浜山手にビール醸造所・スプリングバレーを建設しました。 横浜がビール発祥の地といわれる由縁です。 その後明治40年(1907年)、麒麟麦酒に引き継がれましたが、関東大震災後の大正15年(1926年)に現在地に移転しました。 平成3年大規模リニューアルを機にビアビレッジを開設しました。
生麦事件の碑のすぐ西側が、キリン横浜ビアビレッジの入口です。 キリン横浜ビアビレッジでは一般の人が気軽にビール文化に触れることのできるイベントが揃っています。 なかでも工場内で行われている仕込みからパッケージまで、ビールの製造過程を見学できるブルワリーツアーは大人気です。最後に試飲もできます。 予約が必要です。 045−503−8250
遍照院
遍照院山門の手前は京浜急行
生麦事件の碑から第一京浜に沿って西に進み、2つ目の信号「子安通り」で道路を横切り、反対側の歩道を西に30m程進んだ右手が遍照院です。 京浜急行の踏切越しに山門があります。
遍照院は長禄2年(1458年)祐等法印が開設した真言宗不動寺です。 天正18年(1590年)徳川氏が江戸入国の際、東海道沿いの現在地に移転しました。 かつては旧東海道の一里塚が置かれていました。 JR線と京浜急行線に挟まれたエリアにあります。
子安台公園からつばさ橋を望む
遍照院から第一京浜を逆方向、東に進み「子安通り」の次の信号「滝坂口入口」を左折して京浜急行、JRの踏切を渡ると丁字路にぶつかります。 前方で大規模な工事が行われていますが、高速道路「横浜環状北線」の建設現場です。 従来の滝坂は工事のため破壊されており、丁字路から右に150m程行ったところから、坂道を登ることになります。
急な坂道を200m程登った右手が子安台公園です。 浅野学園、生麦中学校、岸谷小学校に囲まれるようにある公園です。 ベイブリッジ、つばさ橋などの景観を楽しむことができます。 桜の時期も楽しめそうです。
子安台公園からベイブリッジを望む
浅野総一郎の銅像
子安台公園から丁字路まで戻り、そのまま線路沿いの道の西方に進むと右手が浅野学園になります。 浅野学園の正門から入って左上の坂を上ったところに浅野総一郎の銅像があります。 浅野総一郎は明治、大正期の実業家です。 浅野総一郎が手掛けた多くの事業の中でも、大正2年(1913年)から14年間かけた、鶴見、川崎の臨海部の埋め立て、京浜工業地帯の中核となりました。
浅野中学校、高等学校も浅野総一郎が創設した学校です。 浅野総一郎の銅像は京浜工業地帯の行方を見守っている感じに見えます。 ここからの景観も素晴らしいものがあります。 校門まで戻って右に歩いていくとJR新子安駅(京急新子安駅)です。
高台からの展望 前方はつばさ橋
高台からの展望 前方はみなとみらい
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