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横浜散歩No2:總持寺や生麦事件などを訪ねて その1 (H22.9.2)


總持寺・三松閣


JR鶴見駅からJR新子安駅(京急新子安駅)まで、東海道筋に残る歴史の跡をたどってみました。

JR鶴見駅の西に壮大な寺域を持つのが曹洞宗大本山の總持寺です。石原裕次郎の眠る寺としても有名です。

南下して東福寺や杉山神社の古刹を巡った後、京浜急行生麦駅傍でJR線、京浜急行線を横切って生麦事件参考館に立ち寄り、さらに南下して旧東海道に出た後、西行すると生麦事件の勃発した場所となります。

その後室町創建の遍照院などを訪ねた後、JR新子安駅(京急新子安駅)に到着です。

今回のコースの細部は次のとおりです。

JR京浜東北線鶴見駅→總持寺→東福寺→花月園競輪場→安養寺→杉山神社→生麦事件参考館→生麦事件碑→遍照院→子安台公園→浅野総一郎銅像→JR京浜東北線新子安駅(京急新子安駅)



總持寺・参道


JR鶴見駅西口から、JRの線路に沿って横浜方向に向かって(西口を出て左方向、バスターミナルを右に見て進む)400mほど進むと、右側に總持寺の参道があります。
参道の右側が鶴見大学病院、左側が鶴見大学歯学部です。

總持寺は曹洞宗の大本山です。
曹洞宗では、正しい仏教の教えを日本に伝え、永平寺を開いた道元禅師を「高祖」とあがえ、總持寺を開き、教えを全国に広めた瑩山禅師を「太祖」と仰ぎ、この二人の祖師を「両祖」と呼んでいます。
このため、曹洞宗には福井県の永平寺と横浜市にある總持寺の二つの大本山があります。

石川県にあった諸嶽寺を、元亨元年(1321年)に瑩山禅師が諸嶽山總持寺と改めたのが始まりです。
明治時代の焼失を機に、明治44年11月5日に横浜市に移転しました。
現在の總持寺はJR鶴見駅から10分程度という鶴見が丘にあり、かつわが国の海の玄関の横浜に位置することから、国際的な禅の根本道場として偉容を誇っています。

總持寺はこの恵まれた地に約10万の広大な寺域を保有し、鉄筋製の大伽藍を始め多くの諸堂が建てられています。
また、学校法人総持学園として、三松幼稚園、鶴見大学付属中学校・高等学校、鶴見大学などを経営しています。



總持寺・参道


参道入口から150m程進むと三松関です。


總持寺の総門です。

この総門は、禅宗寺院の第一門としては珍しく、特異な高麗門(こうらいもん)の様式で建てられています。



三松関には「三樹松関」と書かれた扁額があります。

總持寺中興の祖といわれる石川素童禅師が揮毫されたもので、總持寺の祖院がある能登には、みごとな龍の形をした三本の松樹があったことに由来しています。


総持寺・三松関



三門



三門


総門をくぐり150m程進んだところにあるのが三門です。

この三門は、木原崇雲氏が妻の菩提のために寄進され、昭和44に落成した建物です。

鉄筋コンクリート造りでは、日本一の大きさを誇っています。



三門に向かって右側に大きな切妻造り鉄筋コンクリートの堂宇がみえます。

地上4階、地下2階、9400平方メートルの広さがあり、檀信徒研修道場、各種セレモニーの会場となっており、宿泊施設も整っています。

能登・祖院にあった三本の龍形の松にちなんで「三松閣」と呼ばれています。


三松閣



香積台



香積台


三松閣の隣にあるのが「香積台」です。

正面玄関には、独住第三世・西有穆山禅師が揮毫された「香積台」の扁額が掲げられています。

また、中央廊下のつき当たりに、日本最大といわれる木彫の大黒尊天が奉安されています。

この像を祀ると開運福徳を授かると信仰されています。


三門を通って境内に入ると右手にあるのが向唐門です。三松閣の前方になります。

前後に唐破風を付けた精緻なつくりの四脚門です。

この向唐門をくぐると、左右に長い廊下のある中雀門、その先に仏殿が一直線に並んでいます。

現在は常時開門しているとのことですが、この日は残念ながら閉まっていました。


向唐門



金鶏門から西方を望む


向唐門が閉まっていたため右側の金鶏門から内苑に入りました。


金鶏門の左右に長い廊下が繋がっていました。

長さ152mで、東西の殿堂群をつなぎ合わせて、外苑と内苑を分ける廊下です。



通称「百間廊下」と呼ばれており、廊下の途中にはそれぞれ

朝をあらわす「金鶏門」(東)

昼をあらわす「中雀門」(中央)

夜をあらわす「玉兎門」(西)

と呼ばれる脇門(通用門)があります。


金鶏門から西方を望む



仏殿



仏殿


中雀門の正面にあるのが仏殿です。


七堂伽藍の中心部に配置されている殿堂で、「大雄宝殿」とも呼ばれています。

總持寺では、中央の須弥壇上に禅宗の本尊である釈迦牟尼如来(坐像、木彫)を祀っています。

屋根は入母屋、二重屋根の総ケヤキ造りです。



大祖堂



仏殿の右手にあるのが大祖堂です。


大祖堂は、一般的にいわれる開山堂と法堂を兼ねた本堂客殿です。

千畳敷の内中外陣と、982坪の地下室を有しており、瓦葺形の銅版屋根は53トンにも及ぶとのことです。

貫首禅師演法の大道場であるのみでなく、諸種法要修行の場とされています。


大祖堂



大祖堂


この殿堂の内陣の奥には「伝灯院」として、高祖大師(道元禅師)、太祖大師(瑩山禅師)、二祖国師、五院開基の尊像及び独住禅師のご真牌が奉安されています。



大祖堂の右手前にあるのが紫雲臺です。


總持寺の住持、禅師の表方丈の間です。

宗門の僧侶、全国の檀信徒と親しく相見する大書院とのことです。


紫雲臺



待鳳館


紫雲臺の右側にあるのが、待鳳館です。

東京千駄ヶ谷の尾張徳川家旧書院を移築したものです。

總持寺の迎賓館です。



石原裕次郎の墓



また、總持寺は石原裕次郎や第24代横綱大錦の眠っているお寺としても知られています。


總持寺の墓所は極めて広大ですが、無事に両人のお墓に参拝することができました。


24代横綱大錦の墓



左が鶴見大学歯学部6号館

總持寺の駐車場の傍に、三松幼稚園に抜ける道があります。

狭い坂道を登ると広い道路にぶつかります。

丁字路も右手前が三松幼稚園、左手前が鶴見大学歯学部6号館です。

丁字路を左折すると道が二つに分かれており、右側の急な坂道を降りていきます。

左側の道を進むと、總持寺の参道の入口に出ることになります。



東福寺



東福寺


坂道を200m程進み、おおむね坂を下りきったところを右折して50m程進んだところが東福寺です。

東福寺は子育て観音として知られています。

寛治元年(1087年)醍醐寺の勝覚僧正の開創と伝えられおり、真言宗智山波に属しています。


東福寺



子育観世音


東福寺・山門


本尊は子育て観音で知られる如意輪観音で、子年毎に開帳されています。

江戸時代には参詣者が多く、門前では子育てまんじゅうが売られ、鶴見名物の一つに数えられていました。

墓域には、芭蕉や飯田九一の句碑があります。


花月園競輪場

東福寺から元の坂道に戻り、20m程坂を下り右手に入ったところが花月園競輪場です。

花月園は、新橋の料亭「花月」の経営者だった平岡広高が、パリ郊外の遊園地を見て、子供の夢や心を育てる遊園地の必要性を感じ、大正3年(1914年)に東福寺の境内を借りて開いた児童遊園地でした。

「東洋一の大遊園地」といわれましたが、昭和24年閉鎖し、25年に競輪場となりました。


花月園競輪場



安養寺


安養寺

花月園競輪場から100m程進むと丁字路があり、右折するとJRの線路に沿った道路となります。

道なりに約1km進むと京急生麦駅へ進む道との三叉路があります。

三叉路のすぐ手前右側に安養寺があります。



安養寺は、明応9年(1500年)の草創の浄土宗の寺です。

山門入口に弁天堂があり、本尊弁天財の体内仏は弘法大師と伝えられています。

墓地には生麦の名主で寺子屋を開いた関口東園の墓があります。


安養寺



杉山神社



杉山神社入り口



杉山神社と称する神社は、全国でも横浜市と川崎市、特に鶴見川流域にのみ散在鎮座しており、数十社が現存しています。

この「杉山神社」は、武蔵国都筑郡内唯一の式内社ですが、所収された神社の所在は確定していないとのことです。

杉山神社

安養寺から西方に50m程進んだ右手が杉山神社です。

神社は長い石段を登った上にあります。

杉山神社は、五十猛神スサノオの子)を主祭神とする神社です。


杉山神社への石段



杉山神社・舞殿



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        風来坊


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