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作田家住宅
作田家住宅 「信越の村」から短いトンネルを抜けた先が、「関東の村」です。 此処には3軒の古民家があり、最初にあるのが「作田家住宅」住宅です。 九十九里浜の地引き網漁の網元の家で、千葉県山武郡九十九里町から移築されたものです。
棟を別にする分棟型民家で、棟と棟との間には大きな丸太を2つに割って作った雨樋が設けられています。 また、居間の梁は松の曲材を巧みに組み合わせています。 17世紀後期の建物で、国指定重要文化財です。
民具製作技術保存会
先人が生活の中から生み出した日用品には機械で作られた物にはない、地球環境にも人にも優しい良さと温かみがあります。 これらの道具は実用品であり、私たちがつくれるものでもあります。そのつくり方を正しく習い、後世へ伝えようという目的で、民具製作技術保存会が昭和48年10月に発足しています。 具体的には、生活の道具である民具、中でも特に消耗しやすい日用品の製作技術を主眼に、わら細工、竹細工、はた織が取り入れられました。
民技会の実技中心の活動はきわめてユニークなものとして注目されていますが、作田家住宅では民具製作技術保存会のわら細工グループが作業をしていました。 わら細工は手仕事として最もポピュラーなものです。わら製品が日常生活から姿を消したとはいえ、家庭でも使えるものがまだ沢山あります。 グループ員がきわめて多くの製作技術を持っているので、各人の技術に応じた物を作ることができるとのことです。
民具製作技術保存会の作品
沖永良部の高倉
沖永良部の高倉 作田家住宅から広瀬家住宅に向かう坂道の途中に、「沖永良部島の高倉」があります。 太い4本柱の上部に穀物を収納する場所を設け、ネズミ等の侵入を防ぐようにしています。 19世紀後期の建物です。
広瀬家住宅 作田家住宅から沖永良部の高倉の傍を通って、細い坂道を登ったところが「広瀬家住宅」です。 切妻屋根で、軒が低く、壁の多い閉鎖的な甲州民家で、山梨県甲州市塩山上萩原から移築したものです。
広瀬家住宅
土間には鳥居柱と呼ばれる2本の柱が立ち、居間には板床を張らない土座形式の住まいが特色です。 17世紀末の建物です。
太田家住宅
太田家住宅 広瀬家住宅の隣にあるのが、「太田家住宅」です。 作田家住宅とは異なった形の分棟型民家で、茨城県笠間市片庭から移築されたものです。
太田家住宅・屋根の繋ぎ目
土間部分を釜屋と呼び、ここには馬屋も設けられています。 釜屋ではカマドの火を使っての炊事の他に農作業も行われたとのことです。 17世紀後期の建物で、国指定重要文化財です。
北村家住宅
太田家住宅から、坂道を少し降りた山の斜面にあるのが「神奈川の村」で、4棟の古民家があります。 北村家住宅 坂道を降りた最初にあるのが、「北村家住宅」です。 解体移築の際、その材木から貞享4年(1687年)の墨書年号が発見された貴重な民家で、神奈川県秦野市堀山下から移築されました。
正面の格子窓、居間部分の押板や竹すのこ床など古い特色を持つわりには、開放的民家です。 1687年に建築された建物で、国指定重要文化財です。
清宮家住宅
清宮家住宅 家の正面を除き三方が土壁で塞がれ、また格子窓が土間と床上境にも設けられているという極めて閉鎖的な民家です。神奈川県川崎市多摩区登戸から移築されました。 土間上部の小屋梁は、曲材を巧みに用いて組まれています。 17世紀後期の建物です。
農機具
伊藤家住宅と岩澤家住宅
伊藤家住宅
伊藤家住宅 清宮家住宅から一段高いところにあるのが、伊藤家住宅です。 入り母屋造りの農家で、神奈川県川崎市麻生区金程から移築されたものです。
正面の格子窓をシシマドと呼び、狼や猪などの獣を防ぐためのものだといわれています。 居間の竹すのこ床、1間ごとに立つ柱など古い形を持っています。
17世紀末から18世紀初期の建物です。
岩澤家住宅
岩澤家住宅 伊藤家の一段上にあるのが、岩澤家住宅です。 土壁と板壁を併用した愛甲地方の上層農家で、神奈川県愛甲郡清川村から移築されたものです。
間取りは3つの部屋で構成する広間型、正面と側面につく格子窓、押板を有するなど、古い様式をとどめています。 17世紀末期の建物です。
お茶の葉を選別する台
お茶を蒸すせいろう
岩澤家上部からの展望 右が伊藤家
蚕影山祠堂
蚕影山祠堂(こかげさんしどう) 伊藤家住宅の傍に、蚕影山祠堂(こかげさんしどう)があります。 蚕影山祠堂は、養蚕の豊作を祈り、その神様を祭るお堂です。 宮殿の両側面には養蚕の神様である金色姫の苦悩の物語、獅子・鷹・舟・庭の4場面が彫刻されています。 宮殿背面には文久3年(1863年)の棟札があります。 文久3年(1863年)の建築です。
棟持柱の木小屋 伊藤家住宅の傍に棟持柱の木小屋があります。 薪や堆肥用の農家の付属の小屋で、掘立柱が特色です。 大正13年頃(1924年)の建物です。
棟持柱の木小屋
菅の船頭小屋
菅の船頭小屋 清宮家の傍に菅の船頭小屋があります。 菅の船頭小屋は、多摩川の渡し場にあって、船頭が客待ち、休憩、川の見張りなどに使用した小屋で、神奈川県川崎市麻生区岡上から移築したものです。
小屋が移動できるよう、四隅の柱には丸太を通し担ぐための鉄の輪が取り付けられています。
菅原家住宅と船頭小屋
菅原家住宅
菅の船頭小屋から日本民家園への出入り口の一つである奥門の間にあるのが、「東北の村」で2棟の古民家があります。 菅原家住宅 出羽三山の麓から移築した妻入り農家で、山形県鶴岡市松沢にあった建物です。
屋根の途中にハッポウと呼ぶ曲線の美しい高窓を有しています。 豪雪地帯の建物らしく内部へ直接に入れないように入り口にアマヤを設けています。
工藤家住宅
工藤家住宅 旧南部領に分布する曲がり屋で、岩手県紫波郡紫波町から移築されたものです。 主屋に対して曲がった部分が馬屋です。 床上は上座敷だけが畳敷きで他は全て板の間です。 天井は全て吹き抜けで、いわば建物全体が1室となります。 18世紀中頃の建物で、国指定重要文化財です。
船越の舞台
船越の舞台 岩澤家住宅から急な階段を登った上に船越の舞台があります。 日本民家園の西門の近くです。 志摩半島の漁村にあり、歌舞伎芝居などを演じていた舞台で、三重県志摩市大王町船越から移築したものです。
回り舞台
回り舞台を回転させる装置
正面に花道、両袖に出語り、そして直径18尺(5.45m)の回り舞台を備えています。回り舞台を回転させる装置は奈落に配置されています。 安政4年(1857年)に建築された建物で、国指定重要有形民俗文化財です。
伝統工芸館
伝統工芸館 日本民家園の西門入口にあるのが伝統工芸館です。 西門から日本民家園に入る場合は、伝統工芸館から入ることになります。 伝統工芸館には、正藍染めの藍ガメが備えつけられており、ハンカチなどの藍染を体験することができます。
正藍染めの藍ガメ
藍はタデ科の一年草で、刈り取った葉を干した後、切り刻み発酵させ加圧してすくもをつくります。 これに石灰・灰汁・井戸水などを加えて加熱・発酵させることで藍液は作られます。 藍染めは、この液に浸しひき上げて空気にふれさせ、酸化を繰り返しながら染色するもので、先祖が育んだ素朴な手仕事です。 青よりも濃く紺より淡い色調をもつ藍色に、日本古来の美しい色に出会うことができるはずです。
アクセス 小田急線向ヶ丘遊園駅から徒歩15分。 日本民家園入園料 500円 65歳以上300円。
正藍染め
正藍染めの作業手袋
関連するホームページ 生田緑地 生田緑地日本民家園その1へ 風来坊