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鎌倉文学館・バラ園
鎌倉文学館・本館
鎌倉文学館は、鎌倉ゆかりの文学者の直筆原稿・手紙・愛用品などの文学資料を収集保存し、展示することを目的として、昭和60年(1985年)に開館しました。 鎌倉文学館の常設展では、鎌倉ゆかりの文学が紹介されています。 また、春と秋にはバラまつりが開催され、庭園のバラを楽しむことができます。
鎌倉文学館の本館と広大な敷地は、加賀100万石藩主前田利家の系譜である、旧前田侯爵家の鎌倉別邸でした。 鎌倉別邸は、明治23年(1890年)頃、第15代当主前田利嗣が土地を手に入れ、和風建築の館を建てたことに始まります。 明治43年(1910年)、館は類焼により焼失し、洋風に再建されました。
本館・常設展示室
さらに、第16代当主、前田利為が全面改築を行い、昭和11年(1936年)現在の洋館が完成しました。 第2次世界大戦後、デンマーク大使や佐藤栄作首相が別邸を借り、別荘として利用したこともありました。 また、三島由紀夫は、小説「春の雪」に登場する別荘を、鎌倉別邸をモデルに描いています。
昭和58年(1983年)、第17代当主、前田利建氏により鎌倉別邸の建物が鎌倉市に寄贈されました。 鎌倉市は、建物の外観を残しながら補修と増改築を施すと共に、新たに収蔵庫棟を建て、鎌倉文学館として開館しました。
本館・常設展示室からの展望
バラ園
鎌倉文学館の敷地は、鎌倉の特徴的な地形である谷戸(やと)の一つを占めています。 敷地の背後と左右の三方を山に囲まれ、前方には海を臨んでいるため、鎌倉の地形のミニチュア版ともいうこともできます。 鎌倉文学館の本館前の庭園には芝生が広がり、その前方には、本館と平行してツツジなど数種類の潅木の生垣があります。
庭園の一番南側に約600平方メートルのバラ園があります。 ここには、鎌倉ゆかりの名前がついた「鎌倉」「靜の舞」「流鏑馬」「星月夜」といったバラから、アメリカやオランダから輸入された外来のバラまで、178品種200株が植えられています。
「バラまつり2007」のパンフレットには、この178品種のバラの植えられている場所が記された、詳細な地図が掲載されています。 見学者に対する、きめ細かい配慮がなされているといえます。 こじんまりとしたバラ園で、写真と感じが異なるという方もおられますが、バラの種類が多いので、十分楽しむことができます。
文学都市鎌倉 明治22年に横須賀線が開通すると、東京からの交通の便が良くなり、文学者が鎌倉を訪れるようになります。 大正時代になると、多くの文学者が、鎌倉に滞在したり、暮らしたりするようになりました。
昭和時代に入ると、都市化の進んだ東京から、より良い創作環境を求めて、さらに多くの文学者が鎌倉へ移り住むようになります。 鎌倉に暮らし、仲間と集い、鎌倉の自然を愛し、作品に描いた文学者たちの思いが、鎌倉を「文学都市」へと高めていきました。 そして、いまもなお、多くの文学者が鎌倉に暮らし、活躍しています。
川端康成、夏目漱石、芥川龍之介、与謝野晶子、大佛次郎、里見ク、久米正雄、小林秀雄、吉屋信子など、鎌倉ゆかりの文学者は300人を超えるそうです。 鎌倉文学館の常設展では、原稿・手紙・愛用品等を展示し、鎌倉ゆかりの文学を4部構成で紹介しています。
プリンセス ドゥ モナコ
白秋
常設展の第一部では、鎌倉ペンクラブの結成、鎌倉カーニバルの発案、戦中・戦後の貸本屋鎌倉文庫の運営、鎌倉アカデミーへの参加などの活動をした、「鎌倉文士」といわれている文学者を紹介しています。
ブルーリバー
ピース
鎌倉は「万葉集」をはじめ、多くの古典文学にその名前が記されています。 第二部は「古典文学」のコーナーでは、『金槐和歌集』『吾妻鏡』『徒然草』『太平記』『義経記』など、鎌倉ゆかりの古典文学を紹介しています。
プレシアス プラチナム
フレデリック ミストラル
エンプレス ミチコ
マダム ビオーレ
第三部では、明治・大正・昭和(戦前)に鎌倉にゆかりのあった文学者を、第四部では昭和(戦後)・平成に鎌倉にゆかりのあった文学や文学者を紹介しています。
ガリバルダー
デイン テーベス
アルテシモ
アクセス 江ノ島電鉄由比ヶ浜駅から徒歩10分。 長谷寺からも徒歩10分のところです。 JR鎌倉駅からは徒歩約30分です。 入館料 企画展・収蔵品展の内容により異なります。 300円〜400円です。
星月夜
ラブ
プリンセス アイコ
ベンタウン
関連するホームページ 鎌倉文学館 風来坊