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東京駅と丸の内ビル群
東京駅丸の内中央口
秋を訪ねて日本の玄関口、東京駅周辺を散策してみました。 最初の東京駅は、3階建てに八角形ドームをのせたルネッサンス様式の赤レンガ駅舎で、日本銀行も設計した辰野金吾の手によって、アムステルダム中央駅をモデルとして、大正3年(1914年)に建てられました。 その後、東京大空襲で焼失し、昭和22年(1947年)に再建された現在の駅舎は2階建てです。
東京駅は東京を代表する建物のひとつです。 今年度中に復元工事を開始し、2011年に当初の3階建ての駅舎として完成の予定です。 この東京駅復元工事の関連で、丸の内の年末の大きなイベントでした東京ミレナリオが今年から取り止めになりました。 再会するか否かは未定です。
東京駅丸の内南口
丸の内高層ビル群
東京駅周辺では街路樹としてはイチョウがあちこちで見られます。 しかしながら、東京駅周辺では再開発が着々と進んでおり、丸の内ビルをはじめとして高層ビルが次々と建設されています。
風来坊が丸の内ビル街の到着したのが午後1時過ぎだったこともあり、ビル街のイチョウ並木は高層ビルの影に覆われていました。 綺麗なイチョウを撮影できず、残念ながらお届けすることができません。
丸の内ビル
新丸の内ビル(建設中)
東京駅からまっすぐ皇居へ伸びる御行道にも、街路樹としてイチョウが植えられており、奥行きのある景観が形成されています。
この付近は皇居外苑となっており、周囲に高層ビルはなく、黄色に輝くイチョウ並木を楽しむことができました。
日比谷濠
皇居外苑は、昭和24年に旧皇室苑地の一部が、国民公園として、開放されたものです。 この公園は、皇居前広場を中心とした皇居外苑地区、皇居の北側に位置する北の丸地区及び12の濠によって皇居を取り巻いている皇居外周地区に大別され、総面積約115ヘクタールもあります。
このうち、濠の水面部分は12の濠をあわせて約37ヘクタールで苑地全体の約3分の1を占めています。
日比谷濠&帝国劇場
皇居外苑地区の紅葉
皇居外苑地区は、黒松の点在する大芝生広場と江戸城のたたずまいを残す濠、城門などの歴史的建造物とが調和し、我が国を代表する代表的な公園として親しまれています。 皇居外苑にはイチョウのみでなく、様々な種類の紅葉を見ることができます。
皇居外苑の南東の一角に、花崗岩の台座に据えられた騎馬姿の武者像が楠正成の銅像です。 この銅像は、別子銅山を開いた住友家が、開山200年の記念として企画し、東京美術学校に依頼し作成し、宮内庁へ献納したものです。 高村光雲など東京美術学校の職員らにより当時の技術の粋を集めて作成され、明治37年7月に完成し献納されました。
楠正成の像
心字池の紅葉
日比谷公園は、幕末までは松平肥前守、長州藩毛利家などの屋敷地でしたが、明治4年〜28年まで陸軍近衛師団錬兵場になっていました。 その後、本多静六によって「都市の公園」として計画、設計、造成され、明治36年(1903年)6月1日に日本初の16万平方メートル以上の敷地の「ドイツ式洋風近代公園」として開園しました。
全体設計は、ドイツの公園を模範としていますが、細部には日本的要素が加えられており、ゾーン別に異なった趣があります。 また大正12年には、野外音楽堂、昭和4年には園内に日比谷公会堂が完成し、さまざまな催し物や集会が行われています。
園内にある第1、第2花壇には1年中四季の花が咲いており、季節ごとにシャガ、バラ、アジサイ、ペチュニアなどが見頃を迎えます。 樹木数は中高木142種約3200本、その他138種が植えられています。
その中でも有名なのは、設計者の本多静六が首をかけて移植した「首かけイチョウ」です。 この大イチョウは、日比谷公園開園までは、日比谷見附(現在の日比谷交差点脇)にあったものです。
首かけイチョウ
大噴水と小音楽堂
明治32年頃、道路拡張のため、この大イチョウが伐採されようとしているのを見て驚いた、日比谷公園設計者の本多静六博士が、東京市参事会の星亨議長に面会を求め、博士の進言により移植されたものです。 移植不可能とされていたものを、博士が「首にかけても移植させる」と言って実行された木なので、この呼び名があります。
関連するホームページ 日比谷公園 風来坊
イチョウとレストラン