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江の島展望灯台からの展望 遙か彼方にはランドマークタワーも
江の島への入口
江の島から富士山を眺めてみたいと思い、風来坊、久し振りに江の島を散策しました。 江の島は、相模湾に浮かぶ周囲5km、標高60.4m、面積0.38平方kmの島です。 江の島は島という名前が付いていますが、橋でつながっているので簡単に行けます。 橋は車両専用の江の島大橋と、歩道・自転車専用の江の島弁天橋の2本が平行して架けられています。
徒歩の場合は、片瀬海岸側から地下トンネルを経由して江の島弁天橋に出ることになります。 最初の200メートルは片瀬海岸の陸地部分です。 気象条件に恵まれれば、トンネルを出て少し進むと右手に富士山を見ることができます。 歩道の色が変わるところからが、約400メートルの橋の部分です。
江の島弁天橋 前方は片瀬海岸
新名所・江の島アイランドスパ
江の島弁天橋の正面が江の島、右手が相模湾そして富士山です。 左側には江の島大橋がありますが、その向こうに稲村ガ崎、鎌倉、逗子、葉山、三浦半島が連なっています。
江の島弁天橋を渡った右手の新しい建物が、2004年12月に完成した「江の島アイランドスパ」です。 富士山や湘南の海を眺めながら、地下1500メートルから湧き出る温泉に入れる温泉ゾーンや、屋内外にさまざまなプールを用意したプールゾーンがあります。
江の島弁天橋からの富士山
朱色の鳥居
青銅の鳥居と参道
「江の島アイランドスパ」を右手にみて、そのまま細い道を真っ直ぐ進むと、江の島の玄関口「青銅の鳥居」があります。 この鳥居は文政4年(1821年)に建てられた古い鳥居で、高さは552cmです。藤沢市の指定文化財になっています。
エスカー乗り場
瑞心門
エスカー
辺津宮と中津宮の中間にある展望台から江の島ヨットハーバーを望む
江島神社は江の島の歴史とともに愛され続ける由緒ある神社で、辺津宮(へつみや)、中津宮(なかつみや)、奥津宮(おくつみや)の三社の総称です。 御祭神は、天照大神が須佐之男命と誓約された時に生まれた神で、三人姉妹の女神様です。
辺津宮
辺津宮(下之宮) 田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)をお祀りしています。 土御門天皇健永元年(1206年)に、将軍・源實朝が創建。 延寶3年(1675年)に再建された後、昭和51年(1976年)に改築されたものが、現在の辺津宮になります。 江島神社の一番下に位置していることから『下の宮』とも呼ばれ、 島の玄関口にもあたり、神社での御祈祷は、こちらで主に御奉仕されます。
奉安殿
白龍王
日本三大弁財天の一つである江島弁財天の神使である白龍王です。 水源には徳力製の純金の小判が秘められています。昔から黄金の水は ○ 健康によい ○ 運が開ける ○ 声が良くなる ○ 美しくなる と称せられているそうです。
八坂神社
御祭神は建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)です。 江戸時代は、天王社として祀られ、弘化元年(1844年)に再建されました。明治6年に「八坂神社」と改称され、平成13年に改築されました。社殿は銅葺、入母屋造りです。 毎年7月中旬に斉行される祭礼は、江の島天王祭といわれ、湘南地方の夏の風物詩として華麗を極める勇壮な祭りで「神奈川の祭り五十選」にも選ばれています。
中津宮
中津宮(上之宮) 市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)をお祀りしています。 創建は文徳天皇仁壽3年(853年)です。その後、元禄2年(1689年)に改築され、朱色が鮮明な現在の御社殿は、平成8年の全面的な改修により、元禄2年改築当時の中津宮(権現造り)を再現したものです。 幣殿・拝殿の格子天井には花鳥画や、彫刻が施されています。境内には歌舞伎界から奉納された石燈籠などがあります。
奥津宮(御旅所・本宮) 多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)をお祀りしています。 多紀理比賣命は、三人姉妹の一番上の姉神で、安らかに海を守る神様といわれています。 相模湾を臨む岩屋に一番近い奥津宮は、昔は、本宮または御旅所(おたびしょ)と称され、社殿は壮麗を極めていましたが、天保12年(1841年)に焼失。翌13年に再建されたのが、現在の御社殿(入母屋造り)です。
源頼朝により奉納された石鳥居
奥津宮
境内には養和2年(1182年)に、源頼朝により奉納された石鳥居があります。 鎌倉幕府を開いた源頼朝は政治の方策としての信仰を大きく取り上げ、各地に社寺伽藍を創建しましたが、その一つとして江の島神社の社殿にも数度にわたって参詣、参籠し、その都度信仰上の対象を寄進しています。 この鳥居は文覚上人に命じて奉納されたものだそうです。
八方睨みの亀 また、江戸の絵師・酒井抱一が拝殿天井に描いた、 どこから見てもこちらを睨んでいるように見える「八方睨みの亀」は有名です。
八方睨みの亀
亀石(亀甲石)
亀石(亀甲石) 鎌倉四名石の一つで別名を「蔵六石」といいます。 文化3年に(1806年)に弁秀堂なる人物が金光明最王経の写経を納めた時に亀甲石を奉納したものだそうです。
力石 江戸時代の日本一の力持ちと言われた卯之助(岩槻藩)が当神社に奉納したものです。 重さ80貫(320キロ)で石には「奉納岩槻卯之助持之八拾貫」と刻まれています。 弁財天の祭礼に詣でた人々の前で力競技を行った時のものだそうです。
力石
龍宮
龍宮(わだつみのみや) 御祭神は龍宮大神です。 江の島は、湧出以来、龍の棲むところとなり、古来、龍神様の信仰は弁財天信仰と習合せられ、共に密接な結び付きから、「江島縁起」を始め多くの伝説が残されています。 この神秘的な趣意に鑑み、崇敬者の御篤志により、御宮を造営したそうです。
龍恋の鐘 相模湾を望む高台にあります。 その昔、海にすむ五頭を持つ邪悪な龍が、島に現れた天女に恋をし、改心の末に結ばれるという島の伝説(天女と五頭龍)があり、ここで鐘を鳴らした二人は決して別れないといわれています。
龍恋の鐘
龍恋の鐘 下側の壁は何?
天女と五頭龍(江の島生まれの伝説) むかし、腰越のあたりにあった、大きな湖に暴れ者の五つの頭を持った龍が住んでいました。 村人はこの龍を鎮めようとしましたが、龍の乱暴はますますひどくなりました。 ところが、欽明13年(552年)、突然、激しい天地振動が起こり、空には美しい天女が、海には島が現れました。
龍は天女に一目惚れし、結婚を申し込み、天女はこれからは人々を助ける龍になることを条件に結婚を受け入れ、二人は結ばれ、長く、この地域を守ってくれたそうな。(「江之島縁記」による)
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風来坊
願いを込めたカップルの鍵です