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ほうずき市05 (H17.7.10)



ほうずき市の出店に並ぶほうずき



境内に並ぶほうずき売りの出店


東京・下町の夏の訪れを彩る風物詩「ほうずき市」が、例年7月9日、10日の四万六千日の日に、浅草寺(せんそうじ)境内で
開かれます。

浅草寺境内には都内や茨城県などの園芸農家から続々と植木鉢が運び込まれ、450店の「ほうずき屋」、350店の売店で埋まります。

そして、賑やかな売声は夜を徹して浅草の夜空にこだまします。


このほうずき市の人気者、千成りほうずきは、たった2日間の浅草の四万六千日を目指して、春先から江戸川の鹿骨町で栽培されますが、天候に左右されて、出来不出来の多い植物で、不作の年には値段の高騰を招くといわれております。


かつては薬用で実の青い「千成ほうずき」がほとんどでしたが、今では観賞用で実の赤い「丹波ほうずき」が主流になっています。


境内に並ぶほうずき売りの出店


境内に並ぶほうずき売りの出店


境内に並ぶほうずき売りの出店



境内に並ぶほうずき売りの出店


このほうずき市は200年近く昔の、明和年中に起こったといわれております。

山東京伝の「蜘蛛の糸巻」によると、芝青松寺の門前ら武家屋敷に奉公してていた仲間(ちゅうげん)が、6月23日の朝、庭を掃除中に一株の千成りほうずきを発見し、前夜愛宕権現の霊夢にあずかったことを思いだし、「6月24日の功徳日に青ほうずきの実を、愛宕の神前で鵜呑みにすれば、大人は癪の種(腹の立つ原因)を切り、子供は虫の気を封ずる。」というお告げがあったと吹聴したそうです。


これを早速、翌24日に試みる人があり、不思議と効能があったため、いつしか境内に御夢想の虫薬と称して、青ほうずきの市が立つようになったといわれています。

この6月24日は愛宕権現の本地仏「地蔵様」のご縁日で、しかも四万六千日の縁日と呼ばれていました。


境内に並ぶほうずき売りの出店



出店に並ぶほうずき



出店に並ぶほうずき


しかしながら元来、四万六千日は観音様の功徳日であったところから、いつしか浅草にもほうずきの市が立つようになり、かえって愛宕をしのぎ盛大になったのだそうです。


因みに青ほうずきは漢方では、解熱剤や婦人の胎熱に特効があるとして、江戸時代に薬用として用いられて来ましたので、満更いわれのないことではないようです。


仏様には色々なご縁日があり、観音様のご縁日は18日、地蔵様のご縁日は24日とか、古くから言われておりますが、室町末期以降このほかに功徳日が設けられ、この功徳日にお詣りすると百日に向かうとか、千日に向かうとか、同じ功徳にあずかるといわれ、いわば特別デーとして広められてきました。


出店に並ぶほうずき


出店に並ぶほうずき


出店に並ぶほうずき



出店に並ぶほうずき


観音様の功徳日で日数の一番多いのが7月10日で、この日にお詣りすると四万六千日分に相当するということで、江戸時代からこの日のお詣りが盛んになってきました。

四万六千日という数については、諸説があり不明ですが、単に多いことと解釈して差し支えありません。


いわば仏縁を結ばせる為に考え出された一つの方便云といえましょう。

したがって、白米一升分は四万六千粒にあたり、この日観音様にお詣りすると、一生を通じて無事息災に過ごすことができるとか、四六時(1日)の千日分が四万六千で、これが根拠になったとか、源頼朝が石橋山の合戦に敗れ、源氏ゆかりの将兵を集めて、浅草寺境内に陣したときが7月10日で、その軍勢が四万六千騎あったことからとか、人間の最高寿命を指すとか、色々といわれておりますが、すべて茶飲み話の域をでないのだそうです。


出店に並ぶほうずき



出店に並ぶほうずき



ほうずき鉢を片手に呼び込みです


今年は7月9日、10日が土・日に当たっているため、当初から多くの人出が予想されておりました。

かつ1日目の9日は午後から激しい雨になりましたので、2日目の10日は日曜日でもあり相当の混雑が見込まれます。

ということで、風来坊、雷門に9時少し前に到着しました。


しかしながら、2日間で60万人の人出があるというほうずき市です。

仲見世通りに入ると案の定多くの観光客で賑わっていました。

しかしながら、最近こうした伝統行事を見に行って感じることは、中国人が多いということです。

今回も朝早くから来ている若いカップルは殆ど中国人でした。

日本の若者は何処にいっているのでしょう? 


今年は若いほうずき娘も!



ほうずき鉢を片手に呼び込みです


ほうずき鉢を片手に呼び込みです



ほうずき鉢を片手に呼び込みです


今年は土・日のためでしょうか? 

ほうずき鉢を片手に呼び込みをしているほうずき娘も、例年以上に多いように思われました。


風来坊、ほうずき娘の誘惑に負け、ほうずきを2鉢も買ってしまいました。



風来坊が購入した千成ほうずき


もちろん、千成ほうずき、丹波ほうずき1鉢ずつです。

値段は、風鈴付きで1500円と2500円でした。


風来坊が購入した丹波ほうずき



浅草寺宝蔵門の両脇にも出店が



浅草寺本堂は参拝客で大変な賑わい

ほうずき市を見学の後、懐かしの「神谷バー」に寄ってみました。しかしながら、人気の「神谷バー」開店前からご覧のような行列です。

雷門からも目と鼻の先の正に浅草のはじまり的な場所、台東区浅草1の1の1に、日本で初めてのバー、神谷バーはあります。

明治13(1880)年、酒の一杯売りをする『みかはや銘酒店』として創業し、明治45(1912)年、日本初の洋式酒場となったのが神谷バーです。


『バー』とは名乗っていますが、バーに付き物のカウンターはなく、明るく広々とした店内には、製の大テーブルが並んでいます。

この店で、馴染みの客が決まって注文するのが、神谷バーオリジナルの酒『デンキブラン』です。

明治15年に創業者の神谷傳兵衛によって考案されたこのデンキブラン。明治から平成に至るまで、下町浅草の名物として親しまれてきたアルコール度数45度(現在は40度と30度の2種類)の強い酒です。


神谷バーは開店前から長蛇の列



神谷バー売店

ちなみにこのネーミング。当初は『電気ブランデー』と呼ばれたらしい。

当時、電気は珍しく、ハイカラな物(新しい物)のイメージだったのが名前の由来です。中身は(ブランデー、ジン、ドライベルモット、ホワイトキュラソー、ワイン等で製法は秘密にされています。


飲んだ感じは、少し甘味の強いブランデーのような味です。

話題の「デンキブラン」を売っている売店はすでにオープンしていました。



関連するホームページ


  ほうずき市

  浅草寺

  神谷バー


              風来坊


仲見世通り


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