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湘南ひらつか七夕まつり 紅谷パールロード入口
湘南ひらつか七夕まつり 湘南スターモール入り口
三日遅れの便りを載せて 船は行く行く波浮港 ・・・・・ 風来坊は、三日早く織り姫に会いに行きました。 「そんなに早く行って織り姫が会ってくれるかい?」 野暮な質問は横において、善は急げ!
平塚の七夕まつりは、昭和26年に平塚商人の心意気を吹き込んだ第1回の七夕まつりが開催されてから、今年で54回目になるそうです。 毎年300万人を越す人出があり、今日では仙台と並ぶ日本を代表する七夕まつりです。
湘南スモールの七夕飾り
湘南ひらつか七夕まつりの特色 七夕まつりは、中国の牽牛織女の伝説に基づいて始まり、日本へは星まつりとして伝えられました。 はじめ宮廷貴族を中心とする都の生活のうちに受け継がれ、書道の上達や恋愛の成就を祈る風習となりました。
江戸幕府はこれを年中行事に取り上げ武家の風習となり、しだいに庶民へも普及するに至り、各地域によって特色のある七夕まつりとして今日に至りました。 平塚の七夕まつりは、戦後商業振興策として始められたもので、活発な商業力に裏づけられた日本一といわれる竹飾りの豪華さに特色があります。
期間中は竹飾りのコンクールをはじめ、パレード等各種催物がくりひろげられ日本を代表する夏の風物詩として発展してきています。 さらに湘南ひらつか織り姫コンテストで選ばれた、湘南ひらつか織り姫が七夕まつり期間中、まつりを一層盛り上げています。
湘南ひらつか七夕まつりの歩み 平塚は海軍火薬廠があったことから昭和20年7月の大空襲で壊滅的打撃を受け、全市が焼野原と化してしまいました。 しかし、復興は早く、「戦災復興五ヶ年計画」も一段落した昭和25年7月“復興まつり”が開催されました。
公園通り露店街の七夕飾り
そしてちょうどこの時期が近隣農家の野上りの時期とも重なり非常に多くの人出を見ました。 そこで、平塚商工会議所、平塚市商店街連合会が中心となって昭和26年7月には仙台の七夕まつりを範とし、平塚商人のたくましい心意気を吹き込んだ第1回七夕まつりを行いました。 昭和27年と28年には「平塚七夕音頭」「紅谷町音頭」「平塚恋しや」が発表され七夕まつりに色をそえました。
そして、昭和32年の第7回七夕まつりからは、平塚市の主催となり、諸産業発展を願い、また平塚を広く全国に紹介する場として重要な役割を果たしております。 今日では、仙台と並ぶ日本を代表する七夕まつりに成長しています。
平塚でもハルウララは大人気
古代の歌人は恋愛をモチーフとした七夕の和歌を数多く残しております。 奈良時代、平安時代、鎌倉時代を代表する歌人の和歌を紹介します。 大船に真揖しじぬき海原を 漕ぎ出で渡る月人をとこ 柿本人麻呂
織女し舟乗りすらしまそかがみ 清き月夜に雲立ちわたる 大伴家持 七夕はいまやわかるる天の川 かはぎり立ちてちどり鳴くなり 紀貫之
特選:おサルの七夕勢揃い
特選:源氏物語(六条院の恋)
おほかたを思えばゆかし天の川 けふの逢瀬はうらやまれけり 紫式部 年ごとに待つも過すもわびしきは 秋のはじめの七日なりけり 和泉式部
暮れぬめり今日待ちつけて七夕は うれしきにもや露こぼるらん 西行 七夕の手玉もゆらにおる機を 折りしもならふ虫の声かな 藤原定家
湘南スモールの七夕飾り(準特選作品)
紅谷パールロードの七夕飾り(準特選作品)
アクセス 七夕まつり会場までは、JR平塚駅から歩いて1分です。 しかし、5日間で延べ300万人以上の人出がある一大イベントです。 ホームから北口改札口まではずっと行列で、臨時改札口が設けられていますが、それでも改札口を出るまでに相当に時間を要します。
帰りの切符を購入するのにまた長時間かかります。 「SUICA」をご利用でない方は、出発駅で往復乗車券を購入することをお勧めします。 西口は比較的空いています。こちらを利用することをお勧めします。 七夕まつり開催期間中の周辺道路は、全面交通規制となります。
紅谷パールロードの七夕飾り
通行許可証がないと会場付近に近付けないようです。 電車・バスが無難です。 織り姫さまにお会いしたい方はこちらからどうぞ。 風来坊