散策スポット目次

HOME

前ページ

次ページ

鎌倉散策・梅を訪ねて  風来坊 (H16.2.14)


 ホームページの「散策コース」に掲載されている「鎌倉ぶらぶら」に、「花暦と散策」のコーナーがある。今回はここで紹介されている「梅コース」を散策することとした。時期としても少し早いが、来週以降は忙しくて鎌倉を訪問するチャンスがないので、今週チャレンジすることとした。

 散策順序は、JR北鎌倉駅⇒東慶寺⇒海蔵寺⇒江ノ電鎌倉駅⇒江ノ電長谷駅⇒長谷寺⇒光則寺⇒鎌倉大仏⇒江ノ電長谷駅⇒江ノ電鎌倉駅⇒宝戒寺⇒瑞泉寺⇒大塔宮バス停(バス乗車)⇒JR鎌倉駅です。

東慶寺境内の梅


東慶寺

JR北鎌倉から鎌倉街道に出て、鎌倉方面に約5分で東慶寺です。気象予報では今日は4月中旬の暖かさとか、前回(1月3
1日)に較べて随分と訪問者も多いようです。

東慶寺は前回に引き続いての訪問でしたが、梅は3部咲きで少し早かったようです。


海蔵寺

東慶寺から鎌倉街道を鎌倉に向けて5分程度歩くと右手に長寿寺(非公開)があります。

長寿寺に隣接する少し急な坂を登り、亀ヶ谷切通しを抜けて坂を下り、JR横須賀線のガードをくぐり、三叉路を右に約300m進んだところが海蔵寺です。


北鎌倉からの道筋には海蔵寺に関する案内がありませんのでした。要注意です。



海蔵寺は臨済宗建長寺派の寺です。海蔵寺は建長5年(1253年)に鎌倉幕府6代将軍宗尊親王の命によって、藤原仲能(道知禅師)が願主となって、七堂伽藍の大寺を建立しましたが、鎌倉幕府滅亡の際の兵火により全焼しました。

その後、鎌倉公方足利氏満の命を受けた上杉氏定が室町時代の1394年に再建しました。薬師如来を本尊とする大寺で盛時には谷戸一帯に塔頭が立ち並ぶほどであったが、今はことごとく廃絶してしまったそうです。でも、却ってこじんまりとまとまっている感じでした。


海蔵寺仏殿裏の洞窟には湧き水をたたえた16個の穴があります。井戸が16個あることから「十六ノ井」と名付けられており、鎌倉十井に数えられています。直径約50cmの穴は弘法大師が掘ったとも、納骨穴の跡とも言われています。洞窟の中央に石造りの観音菩薩像が安置され、その下に弘法大師像が安置されています。


山門の手前右側には鎌倉十井の一つである「底脱ノ井」があります。中世の武将の安達泰盛の娘・千代能が、ここに水を汲みに来た時、水桶の底がすっぽり抜けたため、

「千代能がいただく桶の底抜けて、水たまらねば月もやどらず」

とうたったことから、この名がついたといわれています。


海蔵寺・山門


海蔵寺・本堂


十六ノ井

底脱ノ井

海蔵寺・境内の梅

井戸の底ではなく、心の底が抜けて、わだかまりが解け、悟りが開けたという投機(解脱)の歌です。


海蔵寺の拝観料 無料
十六ノ井見学料 100円


長谷寺・門前

海蔵寺から元の道を戻り、JR横須賀線のガードの手前を線路沿いに約1km進むと鎌倉駅です。海蔵寺から鎌倉駅までは約20分ですが、その道筋の右側に英勝寺、寿福寺、八坂神社があります。

本日はこれらのお寺をパスして、鎌倉駅から江ノ電に乗車しました。民家の軒先を掠めるように進んでいく江ノ電の曲芸に家内は感激していました。

また、窓からの庭先に咲く梅の眺めもなかなかのものでした。電車の一番前に立って風景を楽しんでいる旅慣れたお客さんもいました。長谷駅で降りて5分も歩けば長谷寺です。


長谷寺

長谷寺は、木造仏では日本最大といわれる長谷観音で知られています。

大和の長谷寺の開山でもある徳道上人が開いたとされる浄土宗の寺です。天平6年(736年)に創建されたと伝えられている古寺で、板東三十三観音の第4番札所として多くの参拝者が集まります。

観音堂には本尊十一面観音を祀っています。像高は9.18mで、台座を含めて約12mの偉容には圧倒されます。右手に錫杖、左手には蓮華をさした花瓶を持ち、全身は金色に輝いております。頭上にある十一面の仏はそれぞれ異なった表情を見せていますが、様々な境遇の人を救うためだといわれている。

観音堂の右手に阿弥陀堂があります。堂内正面に高さ2.8mの黄金の阿弥陀如来像が安置されています。源頼朝の42歳の厄除けに造られたといわれていますが、実際は室町時代の作のようです。

本堂左手に宝物館があります。長谷寺に古くから伝わる文化財、伽藍復興に伴い発掘された考古資料などが公開されています。

経堂には経典が入った輪蔵と呼ばれる回転式書架があり、これを一回転させると一切経を読んだのと同じ功徳があるといわれております。


長谷寺・観音堂


長谷寺・宝物殿


長谷寺・鐘楼

また、経堂前には珍しい「緑ガク梅」が咲いていました。

境内の展望台からは、由比が浜を一望することができます。


長谷寺 拝観料300円。


関連のホームページ

  長谷寺 

経堂前の緑ガク梅

長谷寺・放生池

長谷寺・放生池

長谷寺・放生池


光則寺

長谷寺の一つ鎌倉大仏よりの道を入っていくと光則寺です。

光則寺は日蓮宗の寺院です。光則寺の開基は5代執権北条時よりの家臣・宿谷光則で、開山は日蓮上人の弟子・日朗上人です。

日蓮が佐渡に流罪になっている間、光則は弟子の日郎を邸内の土牢に閉じ込め監視することになった。

しかし、自らの不運を嘆くことなく、弟子の身の上を案じる日蓮に深く心を打たれた光則は、その後日蓮に帰依し、自邸を寺にしたといわれています。

光則寺・土牢

境内の裏には、当時日朗が幽閉されていた土牢が今も残されています。

また、本堂左手には詩人宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の詩碑があります。


光則寺は鎌倉有数の「花の寺」としても知られており、四季を通じて季節の美しい草花が境内の至るところで彩りを添えています。

特に、本堂右前の樹齢200年、高さ7mの海棠(かいどう)の古木は大変有名です。見頃は4月上旬です。

光則寺・本堂


山門を入ったところに、日蓮上人直筆の書を綴った石碑があります。


光則寺拝観料 100円。



高徳院

光則寺から約5分で高徳院です。

高徳院
(大仏殿)は、国宝阿弥陀如来坐像(鎌倉大仏)を本尊とする浄土宗の寺です。


日蓮上人直筆の書を綴った石碑

大仏は青銅製で、台座を含め高さ13.35m、重さ約121トンです。東国にも大仏を造ろうとした源頼朝の遺志を受け継ぎ、仕えていた稲多野局が計画したといわれています。

最初の大仏は木造であったため台風によって崩れてしまい、建長4年(1252年)から青銅の大仏が鋳造されたそうです。このとき一緒に建立された大仏殿は、室町時代に地震による津波で海に流され、以来ずっと露座のままである。大仏は体内が空洞になっており、中に入ると頼朝の守り仏や祐天上人像を見学できます。

高徳院拝観料 200円(体内見学20円)


鎌倉大仏


宝戒寺・門前

再び「長谷駅」から江ノ電に乗り「鎌倉駅」に戻り、地下道を抜けて小町通りに出ました。本日は暖かいこともあり小町通りは大変な賑わいようです。人ごみを避け若宮大路の段葛を歩き、鶴岡八幡宮の手前を右折して3分ほどで宝戒寺に到着です。


宝戒寺

宝戒寺周辺はかつて執権を務めた北条氏の屋敷だったといわれています。元弘3年(1333年)、新田義貞の鎌倉攻めにより鎌倉幕府は滅亡し、北条一族が滅びました。


宝戒寺・本堂

建武2年(1335年)、滅亡した北条氏の霊を弔うため、後醍醐天皇が足利尊氏に命じて、屋敷跡に建立させた寺です。

萩の寺としても有名で、9月中旬になると本堂に続く石畳はシロハギの花で埋め尽くされます。

しだれ梅


また、冬はシダレウメが見事な花を咲かせます。本日は1本が三分咲きでした。

宝戒寺拝観料 100円



瑞泉寺

宝戒寺から鎌倉宮を経て瑞泉寺までは約30分の道のりです。かつて紅葉が谷と呼ばれた谷戸奥に建つ臨済宗の寺です。

開山は夢窓疎石(むそうそせき)で、嘉暦2年
(1327年)鎌倉幕府の重臣であった二階堂道薀が創建しました。

その後夢窓疎石に帰依した足利基氏によって瑞泉寺と改名され、足利氏の菩提寺となり、鎌倉五山に次ぐ関東十刹の第一位の格式の高い寺です。


瑞泉寺・総門

境内には本堂、客殿、庫裏、書院などが点在するが、これらはほとんど大正時代以降に再建されたものです。

2層屋根の本堂には先手観音坐像が祀られています。

細い参道には梅林が続いており、梅の満開の時期に来た昔が思い出されました。瑞泉寺付近は寒いのか、まだ水仙が咲いており、梅は残念ながら蕾でした。


瑞泉寺拝観料 100円


瑞泉寺・本堂


瑞泉寺から鎌倉宮(大塔宮)まで戻り、「大塔宮バス停」からバスでJR鎌倉駅まで帰り、今回の散策を終えました。


瑞泉寺・境内

事後の評価

 今回の散策コースは最後に大塔宮からJR鎌倉駅までバスに乗りましたが、それでも21,000歩と少しタフなコースでした。したがって、今回のコースを「東慶寺から高徳院まで」と「宝戒寺から瑞泉寺まで」の2つに分け、別計画にするのがベターかと思います。

 瑞泉寺の梅及び宝戒寺のシダレウメの開花時期は他の寺よりは少し遅いようです。


 関連するホームページ


   鎌倉観光協会   鎌倉ぶらぶら 

                                     風来坊 

目次  TOP 前ページ 次ページ